ディテールの話 酒の席とかで友人の話を聞いている時などに、妙に心に残る他者の体験に出会う事がある。法則性と言うほどではないが、私はずっと、そう言う話には共通する感覚のようなものがあるような気がしてきた。それは何と言うか「不完全で余白がある」感じだ。 あるエピソードとしての教訓やメッセージを含まない人生の単なる断片を見てしまったような話が、自分の心に残り続ける事が多い。私はこれらの話を「ディテールの話」と名付け、飲み会などのたびに「人に言う程でもない、何て事ない思い出の話をし
深夜2時、ワンボックスカーに男5人。 高速道路の料金所を抜けて、愚直に一行は進む。 運転は、um-humのドラマー、nishiken。 道中のサービスエリアで煙草を吸って、高揚する気持ちを静かに落ち着かせる。 真っ暗だけど点々とライトが中継している高速道路を、車窓から自分達が辿ったルーツや道のりに重ねて、この道に意味はあるのかと自身に尋ねる。 その程度の時間と距離を無条件に与えられた自分達は、破滅の道を進んでいる社会の落伍者なのか、それともゴールドラッシュを夢見る採掘者
友達とかと海で遊んだ日、帰り道の車の中で、奇妙な気分に襲われる事がある。それは多分、久しぶりに泳いだ体の重さとか、日焼けで痛む肌とか、Tシャツに微かに残る潮風の匂いとか、そういうものが複雑に絡み合い、何らかの引き金になって生じる気分なのだろうと思う。 それは言葉になる前のモヤモヤとした気分の塊で、波に乗ってやってきてはすぐに時間の中にうやむやになってしまうのだけれど、無理やり言葉の網で捕まえようとするならば「ああ、いつかは死ぬんだ」というような実感だと言えるかもしれない。