歴史ライトノベル@官能系:『桔梗姫と六兵衛』(全4話) 第2話
六
宮川の流れに沿って歩き、飛越国境を越え、まずは越中国猪谷郷を目ざす。
北方には金森兵部の別働隊、小島城を落とした長屋出雲守が展開中である。
本当ならば、人目を避けるために山中を進みたいのだが、やっかいな荷物があった。
具足の間からも背中越しに感じる温かみ、牛皮のような柔らかさ、微かに感じる鼓動、そして、まれに耳に吹きかかる吐息──。
越中猪谷まで十里(約40km)。我1人ならば山道とて十二、三刻(6時間強)もあればたどり着けるが、この荷物があっては子の刻(午前0時)を過ぎよう。深夜に山越えはしたくないが、致し方あるまい。しかし、こんな時に足を挫いたとは、困った女だ。
* * *
数刻ほど前のこと、高堂の城から落ち行く途上で、桔梗姫と随従の一行は金森兵部の手勢の襲撃を受けた。たった2人で生き残った桔梗姫と六兵衛は向かい合い、それぞれの向後を思案した。
六兵衛は、首を上げ、まっすぐ桔梗姫の眼を見つめた。
桔梗姫の眼も、臆すことなく、まっすぐ六兵衛の瞳を射抜く。
「ここは戦場、我が身、女であるが陣中の礼式にならおう。直答、面を上げること、相許す。だが、そのような邪な目で妾を見ることは許さぬ」
「分かり申した。しかし美しきものを欲しいと思うのが男心。以後はまっすぐに、欲しいという目を致しましょう」
この下郎。奇を衒って居直り、豪放さを見せつけ、しかもさりげなく妾を誉めて喜ばしたつもりじゃろうが、そのような手、妾に通じぬ。そんな男も、幾度となく会ってきたわ。大抵は、己を傾奇者と心得る慮外者、性根の座らぬ男であった。そのような言葉に揺さぶられる妾ではないわ。見当違いも甚だしい。笑止千万──。
はははは、驚いておろう。このような相手には直にものを申した方がよい。気取った京の武家の娘も、女房衆も、この手でいちころであった。女は男の大胆さに弱いもの。つまらぬ段取りなど外して、ぐぐぐと攻めるのが上法なり。寄せて引く、この駆け引きこそ、女城の落とし道──。
二人はしばし目を合わせ、それぞれの思惑で思慮を巡らす。
そして、桔梗姫、わざと力を入れぬ声で、六兵衛に問う。
「欲しいものを欲しいと思うは止められぬ道理なれば、勝手に思うがよい。今の大事は、これからいかがするかじゃ。あれからすでに一刻は経とうとしておる。むろん、良案があろうな」
ちっ、流された。大抵の女子ならば、怒るか恥じるかいずれかのものを。感情を揺さぶってこその先ほどの一手。攻め手を変えねばなるまい。
「はっ。南方は敵軍が満ちており論外、東の信州に行くのが常道ではありますが、山道が険しく、また警戒もされておりましょう。北方は長屋出雲守の軍がおり申すが、それほどの数にはあらず、避けることはでき申そう。越中に入れば秀吉の本隊がおり申すが、すでに佐々殿の富山城を囲んでいる様子で、国境辺りは手薄でございましょう。敵の虚を突き、越中に入り、越後に逃ぐるが上策と心得申す。そして、越後を通り抜け、秀吉の力が及ばない関東に落ち着きましょう」
「越中に行くのは妾も上策と思う。しかし、その後じゃ。妾は関東には行かぬ」
「なんと。では、いずこに」
「六兵衛、今宵、話そう。それはそうと、ここでこれ以上時間を潰すことはできぬ。が、困ったことに、先ほど敵から逃げるために足を挫いてしもうたので、妾は歩けぬ。背負え」
七
何とか国境の村、大多和に入ったのが、亥の刻(22時頃)。途中、牛丸又右衛門の手勢に出会うが、何とかやり過ごすことができた。姫を背負うては戦えぬ。しかし又右衛門、自綱公に飛騨を追われたのが、これ幸いと舞い戻ってきたか。飛騨の天地が一変している。
本来なら、横岳大権現にでも首を垂れ、道中と向後の無事を願いたいところであるが、真っ暗闇で方向が分からぬ。これより峠越え、急がねばならぬ。背中の荷物は大胆にもよく寝ている。落ちぬよう、紐と小袖で縛ってみたが、体がよりひっつくことになったせいで、背中に姫の乳房の柔らかみを感じるようになった。大層もどかしい。
猪谷に着いたのは、やはり子の刻。山裾に無人の御堂を見つけ、そこに入る。
「姫、姫、腹ごしらえじゃ。糒と干魚の粥じゃ。起きて食いなされ」
「ん? どこじゃ。もう猪谷に着いたのか」
「よう寝て申した。猪野郷の集落から少し離れた御堂でござる。朝まで誰も来るまい。明日は早朝に出ねばなりませぬゆえ、腹ごしらえなされい。姫の口には合うまいが勘弁なされよ」
「ここまで大義であった。贅沢は言うまいぞ、いただこう」
「さて、姫。先刻は、関東には行かぬ、と申されたが、腹案がおありなのか」
「六兵衛、食事中じゃ。後で話す。しばし黙っておれ」
* * *
灯火の薄明りのなか、改めて桔梗姫の姿をまじまじと見つめた六兵衛は、その美しさに感じ入っていた。
豊かで艶やかな黒髪、香しい首筋、肩の流れ、白魚のような手、白雪のような横顔、力強く美しい瞳、春山のような鼻筋、桜のような唇、神々しく嫋やかな居姿──。これほどの女は見たことがない。いたとしても、この女のような力強い意思や才覚はない。惚れ惚れする。さすが、自綱公の娘である。自綱公、良きものを残された。
桔梗姫、椀を置き、六兵衛の空椀も重ねて、部屋の端に置く。
そして、帯をするすると外し、着物を脱ぎ始める。
六兵衛は動揺する。
「姫、何をなさるお積りじゃ。ここには着替えもありませぬぞ」
「六兵衛も脱げ。これから、女の戦を致す」
「な、何事ぞ……」
一糸纏わぬ裸形となった桔梗姫は、六兵衛に近づき、しゃがんで言う。
「妾を欲しいと申したな。呉れて進ぜよう。かわりに明日より三日の間、妾の云うことを何でも聞け。否か応か」
やられた。先刻の仕返しをこのようにされるとは……。美しい。欲しい。しかし、明日より三日、云うことを聞けとは、何をするつもりだ……。しかし、訊くまい。一国一城の主と思い下総を出て二十五年、五度主を変えたが、運は巡ってこなんだ。今後はせいぜい、百石、千石の知行を求め、さすらう日々。これも一興。こんな美しく、しかもおもしろき女子は天下におるまい。三日間くらい、犬となるもよい。その結果、命を落とそうとも、後悔せぬ。
六兵衛は、桔梗姫の眼をまっすぐとみて、「分かり申した」と言った。
言うやいなや、妖しくも、また哀しくも見える笑みを浮かべた桔梗姫、六兵衛に唇を重ねながら、衿内に手を滑り入れ、衿を左右に開くのだった。
第3話に続く。
※そういえば、「note創作大賞」って、1人1作品のみだから、連続作品とかダメじゃね? と考え直し、もともと第一話だった「歴史ライトノベル@官能系:『桔梗姫と六兵衛』」をまとめていくことにしました。だから、元「第一話」のスキください🥺