#2.26 パパ活編:謎の女、純蓮(すみれ)さん②──地獄のランチ
◆苛立つ2人と会話殺しのパーテーション
2人は、最初に顔を合わせたときに互いに感じた「少し嫌な感じ」を隠しながら、いそいそと店に入った。すると、さすがカフェトロワグロ。コロナ禍の「まん延防止等重点措置」下にあっても、ほぼ満席である。
僕らの席は窓側に用意されていた。僕は、窓を背に座り、向かいの席を彼女に勧めた。
「そっちのほうが、窓の外の景色が見えますからね」
すると、彼女は、こう言った。
「景色って言っても、ビルしか見えませんけど(笑)。それに、私、学校がこの辺りだったので、この景色は見慣れているんです」
(なんだ、このやろう)
これが、2週間近くにわたり、まるで文通のように丁寧で心のこもったメッセージを交わし合った女性なのだろうか。メッセージの文面からにじみ出ていた、優しく温かい感じは何だったのだろうか。ちょっとむかっ腹が立ったが、僕は気を取り直した。
そして、席に着き、無難な話を振るのだが、彼女は「え?」と聞き返すばかりである。また、彼女の話も、断片的にしか聞こえない。
そう、名店トロワグロの名を冠したこのカフェは、バカ真面目なことに、テーブルの中央にものすごい大きさのパーテーションを置いているのである。しかも東京都の推奨通りの、厚さ5mm以上はあるかと思われる硬質のやつである。だから、互いの話がほとんど聞こえない。
互いにいらだち、僕は店員さんに「これ、なんとかならないの。話できないよ」と聞いた。僕は、普段は店員さんには丁寧なのだが、苛立っていたのである。すると、店員さんからは「東京都の指導通りですので」という返事。しかも、少しずらすこともダメと言う。
そこで、大きな声で話すのだが、それでも彼女にはあまり聞こえない。最初の悪い印象をトークで変えるどころか、互いにますます苛立つばかり。
「大体、お前がこんな店を指定してくるだろう」と思ったが、それは八つ当たりである。しかし、この状態を予想して、予約のときに確認しろというのも無理である。だから、僕のせいでもない。行き場のない、腹立ちがたまる一方である。
◆これ以上ないバッド・コンディション
そんなコンディションのなか、彼女から聞き取れた話は、3か月ほど前まで、長く続いていた男性がいて、何かのオーナーで、とても良くしてもらっていたが、別れてしまった。仕事が忙しくてなかなか動き出せなかったが、もう一度探してみようと思ったとのことである。
彼女は仕事については、「まだ言えない」と繰り返した。プロフィールにも、信頼関係ができてから、仕事のことを話しますなどと書いてあった。彼女の雰囲気から想像するに、人前に出るアーティストのように思えた。たとえば、少々著名なバイオリン奏者などである。それだけのオーラがある。
しかし、これだけ聞くのに、何度も聞き返して、やっとというバット・コンディションである。彼女の質問に対する僕の答えも、半分ほどしか彼女の耳に入らない。初回の顔合わせで、これほど最悪な環境はないだろう。
互いに苛立ちは高まるばかりで、僕はとうとう、店に入って20分ほどで、匙を投げてしまった。最初から互いの印象が悪いし、それを取り返す術もない。「縁がないのだ、どうでもいい」と、思ったのである。
さらに腹立たしいことに、この店はランチコースだった。20分で匙を投げても、店を出る訳にはいかない。僕の思考は、残りの時間をどう有効に使うか、に向いた。彼女と今後、二度と会うことはないだろうが、せめて、今後の身になる話をしたいと思ったのである。
彼女がどんな人で、なぜパパ活を始め、これまでどんな男性と会って来たのか、それだけ聞けば、僕の今後のための材料になるだろう。また、こんな状況になってしまったのだから、もうこの顔合わせは失敗と割り切り、腹を割って話したいと思ったのである。そう、考えて、僕は、顔合わせの定石的な世間話から、話題を切り替えようと試みた。
「こんなことになっちゃって、残念ですが、まだメインも来てないし、残りの時間、ざっくばらんに話しません」
というと、彼女は、「そうですね。あ、けいすけさん、今、お仕事はリモートですか?」と言う。この段階で、それを聞くか。僕の意向が通じないのだろうか。やはり、本当に合わない、そう思って、僕はさらに苛立った。
「今さら、そんな話はいいんじゃないですか(苦笑)」
「そんなこと、言います?(怒)」
さらに険悪なムードになった。何だ、この状況は。
僕は普段、苛立つことはほとんどないし、特に女性には丁寧なタイプだったはずである。
今日は、何もかもが最悪だ。
◆東京都の思惑通りの黙食ランチ
「私、いつもはたくさん話すんですよ。こんなこと初めて……」
「僕だって、そうですよ。今日は、何て言うか……」
「長くメッセージやりとりしましたね。それなのにこんな感じで残念です」
「私だって、そうです。残念ですよ……」
そう言った後、僕らは少ししんみりした。
しかし互いに、これ以上、話を続ける気にはならなかった。
僕たちは諦めて、黙々と食事を平らげることにした。こんな状況だから、食事も不味いったら、ありゃしない。いくら名店の料理だろうが、楽しく食事ができなければ、味などしない。忙しいなか、会社を抜け出してこれである。決して、彼女が悪いわけではない。これは、何かの天罰だろう。
店に入店後、40分。やっと、最後のコーヒーまでたどり着き、僕はそそくさと会計に向かった。彼女の「ごちそうさまでした」を背中越しに聞き、ちょっと振り返って、「今日はありがとうございました」と言って、そそくさと会社に戻った。
パパ活中、一番、疲れた会食だった。
しかし、彼女は、いったい何者だったのだろう。ほとんど何も聞けなかったが、あのオーラと佇まい。今後、何かのポスターや、雑誌、テレビなどで見かける機会があるかもしれない。