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【雑記】「一穴主義」は美談か

◆「一穴主義」とは何か


一穴主義(いっけつしゅぎ)」とは、1人のパートナー以外と性交渉を持たない男性のことをいう。恋人関係の場合も該当するが、多くの場合は結婚、あるいはそれに準じるような、生涯のパートナーをもつ男性に対して使われる言葉である。

起源は分からないが、比較的古い言葉であり、昭和の高度経済成長期のサラリーマンが、夜遊びをしない同僚を「あいつは『一穴主義』だからさ(笑)」などとからかうような場面での使用が目に浮かぶ。このからかいには、遊びを知らないという蔑み、妻を裏切らないことへの敬意、円満な夫婦関係に対するやっかみなどの複雑な感情が交じり合う。

そのため、場面によって肯定的、否定的のどちらでも使われる。

この「一穴主義」、すでに死語かと思ったら、まだ命脈を保っているようである。女性に対する「一棒主義」などの派生語も生まれたりしているし、BL(ボーイズラブ)の物語などで、今も使われたりしているようだ。

僕は、意外に純愛系の物語が好きで、結構、そのような物語に感動するほうである。少し前だが新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』のDVDを家族で観て僕だけかなり泣き、オトメン系の当時小学校4年生の息子がやや引いたほどである。ちなみに、そのとき、妻は目を合わせてくれなかった。


このほか、今度はかなり古いが、高橋留美子さんの漫画『めぞん一刻』が大好きであり、今でも数年に一度くらいのペースで、全巻読み直しているほどである。他にも好きな純愛系の映画もたくさんあるが、きりがないのでやめておこう。


◆「一穴主義」を別の角度から見てみれば


●ムラムラをどう処理するか

さて、このように純愛に憧憬のある僕だが、その体現型ともいえる「一穴主義」については、どうも純粋な気持ちで受け入れることができない。

いや、素晴らしいことであるとは思う。

それが、気持ちの上でも本当ならば。

しかし果たして、そんなことはあるのだろうかという、下衆の勘繰りをしてしまう。

だって、この「一穴主義」は、気持ちが伴ってこそ、美しいものである。そうでないとしたら、ちょっと、ウムムムとなるものである。

想像してほしい。

仮に、街や仕事、その他の場面で出会った女性に、ムラムラしたとしよう。


僕のようなゲス男だったら、その女性と接点が持てそうだったら持とうとするし、隙がありそうだったら誘おうとするし、セックスできそうだったらしようとする。それがダメだったら、誰か別の女性と会おうとするし、それも難しそうだったら、「風俗行っちゃえ!」となる。

妻あるいはパートナー以外には、ムラムラしない!

これならば、立派である。そんな男らしい男は、尊敬に値する。

そして、そのような究極の愛情で結ばれた男女関係にも憧れる。

しかし、もし仮に次のような感じだったら、ちょっと、ウムムムである。

「階段を上る女性の腰のラインがたまらないなー。あー、ムラムラしてきた。沙織にLINEしよう」

≪パパです。さおちゃん、今日、疲れてない? 
できたら今夜したいんだけど≫

ピポピポピポ

≪OKです≫

「これでよし! さあて、会社に戻って報告書、さっさと仕上げるぞ!」

『尊と沙織──円満夫婦の物語』(アングラ新報社、2021年)より


どうなんだろう、これ……。

でも、「一穴主義」だったら、こうなると思うのだが、違うのだろうか。

僕の周りには、類友でゲスとクズしかいないから、ゲスとクズじゃない一般男性の本音の部分が分からない。

ちなみに、これは「風俗も行かない」前提の話である。


●男とムラムラ

男は、程度はあるが、しょっちゅうムラムラするものである。

僕なんかは、一日の半分くらい女性のことを考えているし、外出が少ない日でも通勤途中やランチの行き帰りなどをトータルすれば、平均3時間に1回はムラムラしている。打合せや取材相手が初見の美人だったりすると、ずっとムラムラしている。


僕は極端だと思うが、それでも男なら、数日に1回くらいは、妻やパートナー以外にムラムラすると思う。例えば、動画でたまたま、松本まりかさんを見たとする。そりゃ当然、ムラムラするだろう。その度に、沙織を抱こうとするのだろうか。

YouTubeでドラマを観てて、ちょっとエッチなシーンで松本まりかちゃんが登場したとする。

(ニュースサイトSirabeeエンタメ〔https://sirabee.com/2021/04/11/20162553664/〕)


「ああ、まりかちゃんの唇、エロイなー。たまらない……。よし!」

キッチンの沙織に近づく。

「え、何? 洗い物、途中なんだけど」

「いいよ、後で俺がやるから。それより、キスしよ」

「え、急すぎ。え、あ……、だめ、蒼汰が起きちゃうよ」

「さおちゃん、ベッド、行こ♡」

『尊と沙織──愛ふたたび 第3版』(アングラ新報社、2022年)より


若いうちなら、ギリ、ウムムくらいで済むかもしれないが、50代とかになったらどうだろうか。


「ああ、石田ゆり子、きれいだな。抱きたい……、和江!」

「和江、いるか?」

「なんですか、お父さん。え、またですか、もう。明日のお茶会の準備で忙しいんですけど、きゃ、もう勘弁してくださいよ」

「ゆり子、じゃなくて、和江ぇー!」

『ぼくたちの夫婦善哉』(中年画報社、1976年)より


ど、どうなん、これ。相当なアウトに近いウムムムムム状態である。

いやしかし、歯に衣着せずに言えば、「一穴主義を保つ」というのは、究極的にはこういうことなのではないだろうか。

つまり、あけすけに言えば、代償行為を含む性欲動の解消を、すべて1人の女性で行うということである。

これだとしたら、「一穴主義」は純愛どころか、かなりウムムムムムムムムムムムムムムムである。


◆心も穴も多くていい


だから、私は言いたい。

浮気のほうがピュアではないかと。
だって、自分の気持ちに偽りがないんだから。

そりゃ、世の中、自分の気持ち通りになんかならないのは分かっている。

僕だって、ムラムラした相手が無理とわかったら、別の女性に行く。これも代償行為である。

が、しかし、ルールに縛られた永続的な代償行為ではない。その代償行為を受けるか受けないかは、相手の完全なる自由意志によるものだ。受けなくても、夫婦関係がどうだ、レスがどうだなどと言われる筋合いのないものである。その瞬間のかかわりに、偽りはない。

すべての社会契約、ルールは、権力による支配でなければ、人々がハッピーになるために生まれたものである。人々とは、私とあなたのことだ。

あらゆる種類のパートナー関係を、たった1人に永遠に負わせようとする社会通念は、もうとっくに限界を迎えている。

だからもっと、性の自由化を推し進めたい!

この世のウラとオモテの垣根がなくなれば、私も晴れて「ウラノけいすけ」から、「タダノけいすけ」になることができるというものである。


あれ? こんな着地点(性の自由化)でよかったけ?? 

まあ、いいや、笑笑。


※出典表記のない写真はイラストACの無料素材です。

ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛