【雑記】クンニにまつわるエトセトラ
最近では『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)に出演し、2013年には『恋するリベラーチェ』でゴールデングローブ賞主演男優賞を獲り,個人的には『カッコーの巣の上で』(1975年)の製作や、「ウォール街」(1987年)・「氷の微笑」(1992年)での演技が印象深い、ハリウッドの名優マイケル・ダグラスは、クンニリングス(以下、クンニ)のし過ぎで喉頭がんになったそうである。そう、本人が言っているから、様々な相手に、かなりの回数をしたのだろう。
(ciatr[シアター]──物語と、出会おう。https://ciatr.jp/topics/148955)
noteのダッシュボードを見ると、「雑記 フェラチオの起源」がいつも上位で、だったらクンニについても書こうと考えていたのだが、なかなかネタがなく、これまで書けないでいた。
そう思いながら、昨日たまたま、Wikipediaの「クンニリングス」の項目を見ると、昔は大した情報は載っていなかったのに、情報がすごく充実していた。それで、書いてみる気になった。ただし、ウィキペディアの焼き直しもつまらないので、ちょっといろいろ検索してみた。すると、出るわ出るわw
◆昔からの自然な行為?
まず、江戸時代の日本人って、こんなにエロかったのか。春画展などに行ったこともあったのだが、これは見たことなかったな。
加えて、ポンペイの遺跡にも、クンニを描いた壁画が残っていることを知った。すごい絵だな……。2000年前のイタリアである。つまり、古今東西を問わず、クンニは昔から自然な行為だったようだ。
クンニじゃないけど、18世紀のロシア皇帝エカチェリーナ2世が専用の「足のくすぐり係」を置いていたという話を見つけた。エカチェリーナ2世は、ロシア帝国を世界的な大国にした功績者の1人である。偉大な女帝として著名だが、彼女が奔放だったのは有名な話である。夜な夜な、新しい若い男を求めてさまよった。しかし、専用の「足のくすぐり係」とは驚いた。もちろん性的マッサージで、官能的な物語を朗読させながら、足をマッサージさせたそうである。
もう1つ、きちんと成形されたディルドが太古からあり、17世紀のイギリスでこんな詩がつくられていたのなんか、知らなかった。イタリア製ディルドが人気だったようで、それに関する詩である。
公爵夫人の手にキスをした
英国の淑女たちよ
最近、シニョール・ディルドと呼ばれる高貴なイタリア人と
出会ったことはありましたか?
エカチェリーナ2世とディルドの話は、「知られざるセックスの歴史、我々の祖先は想像以上にみだらだった」から引用させていただいた。
◆僕の記憶のなかのクンニ
さて、クンニである。
僕の記憶では、1990年代まではフェラチオさえ、一般にはあまり広まっていなかったように思う。少なくとも、若い男女の恋人同士が普通にする行為ではなかった。「雑記 フェラチオの起源」に書いた大竹まことさんの発言どおりである。
クンニが広まるのは、さらに、フェラチオが一般的になった後ではないか。時代で言えば2000年ごろである。最初は、「フェラチオの返礼」のような意味合いがあり、「やってあげるもの」という印象を持っていた気がする。僕が大学生の頃だ。
一番、最初に、クンニをしたときの記憶が、おぼろ気にある。「ちょっと嫌だな」と思いつつ、「えいやあ」と思い切って舐めた。
居酒屋のアルバイトで知り合った専門学校生だった。大学時代の最初の彼女である。やってみて、ねとっと絡みつく愛液に、申し訳ないながら、「少し気持ち悪い」と思ったのを覚えている。本当は、一度、口をゆすぎたかったのだが、それはできないと、そのまま行為に及んだ。女性が、初めて男のものを舐めたときも、こんな感想かもしれない。男は肝に銘じるべきかも。
そういえば、絶対に舐めさせてくれない女性もいた。会社に派遣社員として来ていたHさんである。彼女は、とてもMな女性で、「従順になる」というのがプレイスタイルだったのだが、クンニだけは絶対にさせなかった。「無理やりしようとしても」、「ダメ」と本気で逃げるのである。あれは、なぜだったのか──。おもしろい人だった。
え? 今どうかって?
そりゃ、めちゃくちゃ好きですよ。むしろ、お願いして舐めさせてもらいたいくらい。あ、人によるけどw そう、最初にあれほど躊躇していた青年は、舐めるの大好きなオジサンになりましたw
若い頃は、「舐めるの好き」などというオジサンが理解できず、気持ち悪いとも思っていたのが、今ここです。多分、みんな通る道ですね。
喉頭がんにならないようにだけ、気をつけます。