歴史ライトノベル@官能系:『桔梗姫と六兵衛』 第4話(最終話)
十一
秀吉のさりげなさを装った問いに、執念と底知れぬ恐ろしさを感じる。
しかし自綱公は、まだ捕まっておらなんだか。良かった。
さて、残念ながら、我らは行方を知らぬ。姫はどう答えるか──。
「それは申せませぬ」
思わぬ強い口調。
いや待て、知らぬはずではないか。
「なんと、この秀吉にも申せぬと申すのか」
「申し訳ございませぬ」
「我が身、すでに関白。日の本の武家を統領。佐々退治が終わったら、北条も島津も伊達もすぐに打ち滅ぼしてくれようぞ。京の尊きお方以外に、我より偉きものはなし。それでも教えぬと申すのか。そちは何か、儂が下賤より身を起こし事、信長公の草履取り、足軽であったことを卑しんでそのように申すのかや。少しばかり美しかろうが、無官の地下の小女がこの関白に何という口のききようじゃ!!! 勘弁ならぬ!!! もう一度、問う。自綱はどこにおる! 言わぬとならば、そなたの美しい体、紅蓮の炎で焼いてやろうぞ!!!」
六兵衛、顔を上げ、「あいや……」と言うやいなや、桔梗姫が凜と言う。
「関白殿下に申し上げます。居場所を漏らせば、討たれると分かっておきながら、それを教える子がありましょうや。それが親子の道というもの。いくら末法の世とは申せ、外道にはなりとうございませぬ。親子には親子の道があり、女には女の道がございます」
「よう、云うた!! さすが、自綱の娘じゃ。女の道とはなんじゃ!」
「体を捧げ、お慕い申した殿御を裏切らぬことにござります」
「ほほう。そちゃ、体を捧げたことはあるのか」
「体を開いたことは数え切れぬほどございますが、捧げたのは一度切り」
「正直でよい! 捧げたのは誰じゃ!」
「この度の戦で亡くなられた、小島城主、小島時頼殿がご嫡男、元頼様でござります」
「そのこと、聞いておる。本来なら小島の家が姉小路家を継ぐべき本流じゃ。ゆえに本領安堵を申しつけたが、間に合わなんだ」
「致し方なきことでございます」
「すると、儂はその小島の小僧の敵ともいえることになる」
「そのように言えなくもござりませぬ」
「すると、姫を寝所に招き入れようなら、寝首をかかれぬやもしれぬ」
「関白様は神に近き人。その寝所に入るとあらば、身を捧げておりまする」
「捧げておるか」
「はい」
十二
情けないが、動けない。顔を上げたまま微動だにできぬ。全身は汗だらけ。この我としたことが、何の役にも立たず、身動きもできず、できることと言えば、姫の邪魔をせぬように息を殺すのみ。
「よし! そなたの父は殺さぬ! 余生を許そう。そちの兄にはかわいそうなことをしたが、男系は絶やさなければならず、やむを得ぬ仕儀と心得よ。姉小路の血を残したいなら、我が子を産め」
「ありがたきお言葉。父は、今ごろ京の五辻家におりましょう。そこで落ち合う約束でございました」
「堂上家の五辻家か。今の当主は之仲じゃな。自綱、てっきり北条のもとに逃げ込んだかと思ったが、京におったか」
「父の助命のほど、何卒よろしくお願い申し上げます」
「くどい! 関白の言じゃ! よし、姫。今よりそなたは我が身内。屋敷に上がられよ。それと、わぬし」
秀吉は、立ち上がりながら六兵衛を一瞥する。
「下郎の分際で勝手に面を上げるは無礼千万。成敗したきところだが、姫を助けようとしたのであろう。ここまで姫を連れてきたこと、大儀であった。秀長!」
「はっ」
「あれを使うてやれ」
* * *
時は下りて、慶長十九年。さすがの大坂城も、二十万の大軍に囲まれ、堀も埋められては万策尽きた。すでに真田幸村、木村重成らが戦死。毛利勝永らが城内で最後の一戦を試みるが、怒涛のように押し寄せる徳川の兵の波にのまれていった。
大坂城は、阿鼻叫喚の地獄と化す。
その様は、徳川方として従軍した摂津国平野郷の豪商、末吉太郎兵衛の記録に残されている。
「お局様、早く。関東の雑兵どもが追ってきますぞ。出口が塞がれれば一大事」
城内を足早に駆ける2人の女。1人はかなり身分の高い女性と見える。もう1人は御付きの侍女のようであった。敵は南方の各口より城内に雪崩れ込む。そこで、北側の京橋口より場外の逃れようとする算段らしい。京橋口を守る味方の手勢は、すでに四散している。
十三
「お局様、もう少しでございますぞ」
大坂方が口の守りにと築いた土塁や矢来を越えつつ越えつつ、何とか京橋口に近づいたところ、すでに京橋口には柵と徳川方の雑兵の姿が。
「きゃっ」
一筋の矢が、侍女の胸に刺さる。
「か、楓っ!」
女房、慌てて後ろに返そうとするも、すでに背後の土塁の上には十人ほどの足軽が立つ。
「へへへへ、お城の女房殿か。ふだんならわしらでは顔も見られぬ身分のお方。そそられるぜ。斬られたくなければ、観念せよ」
「せっかくの乱取りの機会にこのような役目で運がないと思っておったが、そのうっぷんを晴らさせてもらうぜ」
京橋口を固める小侍と足軽も駆け寄り、土塁の足軽も駆け下りて、女房は三十人ほどの男どもに取り囲まれる。もはやこれまで。
女房は観念したか、その場に座り込む。
「ほら、笠を取って顔を見せな」
足軽の一人はそう言いながら、女房の笠を垂衣ごと奪い取る。
見ると、二十年後の桔梗姫の姿であった。
「なんだ、年増か。しかし美しい顔をしている。これはめっけものじゃ。すでに男の味は知っておろう。殿上人に我ら下衆の男をたっぷりと味あわせてやろう。我ら三十人相手にいつまでもつかな。くくく」
十四
其時、場外より一騎の老武者が走り来る。見れば桔梗の旗印。
そのまま京橋口の固めを突破すると、茫然とする雑兵どもを打ち払い、桔梗姫を背に馬に乗せ、再び走り去る。
突然の出来事に足が動かなかった徳川方の雑兵どもも、気を取り直して二人を追う。京橋口の雑兵どもも、ある者は槍を持ち、ある者は弓を持って、迫りくる二人を止めようと京橋口を固める。
「絶対に逃すな、城外に出すな、槍衾を作れ! 矢を構えい!」
「姫、背中の乳房、懐かしゅうござるな。しっかり我につかまられよ」
「六兵衛! いずこより、何故に来た」
「そのような話はあとじゃ。敵の固めを飛び越え申す。目をつぶられよ。腕を離さるるな」
矢が一斉に放たれる。桔梗姫は目をつぶる。馬が大きく飛んで、足軽たちを大きく飛び越える。ぐさっ、ぐさっと、肉に何かが刺さる音がする。さすがの桔梗姫も目を開けることができない。ただただ夢中に六兵衛にしがみつく。
ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ。
* * *
桔梗姫が目を開けると、すでに馬は城外に出て、大川の河原へと降りている。
「ここまで来れば、もう安心でござる。あそこに船をつけてござる。船頭は信用できる者じゃ。あの船で川を下り、大坂湾に出て、相模まで行かれて、鎌倉の東慶寺に入られよ。十九世瓊山法清尼様には仔細を申し上げてあり申す。守護不入、天下御免の東慶寺。そこに入れば、誰も手出しはでき申さぬ」
「六兵衛はいかがする」
「うまく逃げきれれば、わが故郷、下総国東庄小南郷にて姫と共に田畑でも耕そうかと思うたが、我はいつも詰めが甘い。槍と弓矢をたくさん受け申した。もう目もろくに見えてござらん。別れでござる。女の道、しびれ申した。男には、男の道がござる。さらばでござる」
そう言うと、六兵衛は馬より崩れ落ちた。
完
※そういえば、「note創作大賞」って、1人1作品のみだから、連続作品とかダメでした。そこで、もともと第一話だった「歴史ライトノベル@官能系:『桔梗姫と六兵衛』」をまとめました。だから、こちらにスキをいただけると、大変うれしいです🥺