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【雑記】やりちん やりまん考

◆やりちん


やりちんって、なんだろう。
やりまんと違い、やりちんには、なぜかポジティブな響きがある。
男がたくさんの女性を抱くのはかっこいい ──。そんな価値観が、潜在的に今も残る。
そして「モテる男はいい男」というイメージも、ついて回る。
やりまんに比べて、圧倒的に得をしている。実態は変わらないに。

果たして、やりちんとは、なんだろうか。
おぼろげなその輪郭を、少しはっきりさせていきたい。

とりあえず、僕は、やりちんではない。
やった女性の数だけ考えれば、十分過ぎるくらいに当てはまるが、やりちんはモテなくてはならない。釣りに例えれば、糸を垂らすだけで釣れる、そんな男がやりちんである。

僕のように、種類の違う仕掛けをした釣り竿を何本も並べ、ワナも沈め、お金を払って生けでも釣り、はたまた市場でも買って帰り、それを合わせて「漁獲量なら負けない」というタイプは、やりちんではない。

やりちんには、どうやら資格がいるらしい。


◆やりまん


やりまんって、なんだろう。
やりちんと違い、やりまんには、なぜかネガティブな響きがある。
女性は、数少ない好きな人にだけ体を開け ──。そんな価値観が、潜在的に今も残る。

やりちんの評価は、人格や心理状態、生活の評価と結びつかないのに、やりまんの評価はそれと結びついて語られる。「荒んでる」「心が乾いている」「乱れている」「きっとろくな生活をしていないだろう」などと、後ろ指をさされがちである。実態はかなり異なり、強く自立した女性も多いのに、一方的に決めつけられる。

果たして、やりまんとはなんだろうか。
おぼろげなその輪郭を少しはっきりさせていきたい。


穴モテとサセコとやりまん


穴モテ」という言葉がある。
「あいつ、ただの穴モテなのに気が付いてない」「穴モテなのに勘違いしないで」「私、どうせ穴モテなのは分かってる」などと、多少、侮蔑的に使われる。

また別に、「サセコ」という言葉もある。これは、主に男側が使う言葉だ。性処理がしたいときに、誰でも気軽にさせてくれる便利な女、そんなイメージである。

「穴モテ」「サセコ」は、やりまんだろうか。
「穴モテ」「サセコ」には、主体性がない。やらせることでモテる、やらせることで人間関係をつなぎとめる、そんな意味が含まれる。「やらせる」という言葉が示すように、受動的な要素がある。


一方、やりまんは、主体的である。やるのは「自分」だからだ。やりたいから男を誘う、体を開く。常に、能動態である。

やりまんには、周囲の評価など気にしない潔さがある。そのうえ、男側から考えれば、気に入られて、気が向けば、やらせてくれるという天使のような存在である。もっとポジティブな評価をすべきでだろう。
女が男をたくさん手玉にとる、というのも、かっこいい。


なお、やりまんに通じる言葉に、ビッチbitch)という言葉がある。日本では少しアバンギャルド(前衛的)な意味合いを持つ。最近は「清純ビッチ」などの言葉が流行した。ビッチはやりまんの進化系と言ってもよいかもしれない。僕がこれまで会った、ビッチを自称する女性は、筋の通ったかっこいい女ばかりだった。


◆激動のやりまん

伊藤野枝

激動の時代、特にその人のリアルな実像がある程度、鮮明に分かる近現代の豪傑的なやりまんとして、まず頭に浮かぶのは、伊藤野枝(1895~1923)である。

平塚らいてう門下の作家・女性解放運動家であり、後にアナキストの大杉栄の愛人となり、関東大震災直後の1923(大正12)年に憲兵大尉の甘粕正彦らによって殺害された(甘粕事件)、激情型の女性である。最近、新進気鋭の政治学者、栗原康さんによって評伝が書かれ、再び注目を集めた。


柳原白蓮

次に浮かぶのが、柳原白蓮(1885~1967)である。菊池寛が書いた『真珠婦人』のモデルといわれている。最近ではNHK連続テレビ小説「花子とアン」(2014年)にも登場して話題になった(演:仲間由紀恵)。

妾の子として柳原伯爵家に生まれた白蓮は、大正天皇の生母、柳原愛子の姪にあたる。大正から昭和期に歌人として活動し、大正三大美人の1人に数えられている。15歳で北小路子爵家に嫁ぐが5年で離婚、25歳で九州の炭鉱王と再婚するが、36歳の時に、29歳の社会運動家、宮崎龍介と駆け落ちし、「白蓮事件」として世間を騒がせた。

その後は、女性解放運動家・平和運動家として活動し、『春駒日記』の著者として著名な元花魁・森光子が、吉原遊郭を脱走する際に頼ったのも、この白蓮である。当時、花魁であった森光子は、もちろん白蓮との繋がりはなかったが、その盛名を聞いて「白蓮さんなら」と、家に駆けこんだのである。

※なお、2012(平成24)年に亡くなった女優、森光子さんの芸名が、元花魁の森光子にちなんだかは不明である。森さんは1920(大正9)年生まれであるから、ありえなくもない。もしそうであるなら、「日本一愛されたお母さん」との称号もある森光子さんは、やはり一筋縄ではいかない人だ。


鳥尾鶴代

最後に、もう1人あげるなら、「マダム鳥尾」こと、鳥尾鶴代(1912~1991)である。貴族院議員の孫娘として生まれ、鳥尾子爵家に嫁ぎ、戦後にはGHQ(連合国最高司令官総司令部)の民政局次長の愛人になり、日本の政治家や財界人とGHQのパイプ役として暗躍して「影の女王」とよばれた。彼女には、『おとこの味』(サンケイ新聞社、1969年)という、すごい著書がある。


「ケーディス(愛人のGHQ民生局次長)はセックスも含めて満点に近かった。ワタシの知っている男性では最高だった。ワタシたちは、かたい結婚の約束をかわしていたが、マッカーサーとホイットニーの忠告で、彼はそれを断念しなければならなくなった。」

「強さという点だけだったら、ドイツ、ユーゴ、ポーランドで、それより強いのはソビエトだというが、ワタシはソビエト人は知らない。」

「女を夢中にさせる男というのは、奥さんがいて、それにきまった愛人もいて、さらにすんなりとつまみぐいもできる男のことで、それをなんの破綻もなくおこなえる人でなければならない。それには、経済力、体力をそなえていて、しかもアタマがよくなくてはできない。ワタシは、こういうことのできる人を甲斐性のある男だといいたい。」

(マダム鳥尾『おとこの味』〔サンケイ新聞社、1969年〕より)


さすが、マダム鳥尾、最後の引用文は「なるほど」と思わせる内容である。
鳥尾鶴代は、僕が今、とても興味を持っている人である。著書や彼女がかかわった事件なども調べてみたい。若い頃の鳥尾鶴代は、さすがの美人で、すごく僕が好きな顔である(知らんがなw)。

             ◇  ◇  ◇

彼女らは、やりまんであっても、決して「穴モテ」や「サセコ」ではない。
前に、「私には『穴がある』という雑記を書いたが、それに通じるような、清々しさがある。
むしろ、やりちんよりも、よっぽど、かっこよいのではないだろうか。


正常って、なんだろう
異常って、なんだろう
いまの世の中、クルッテイルのか
クルッテイルのは、あなたか、わたしか
若者はしらけ、少年少女は自殺を夢み……
そして、おとなは、いらだち、とほうにくれている
だが
いまの世の中、いまの人間
硬直した常識のめがねをはずすと
どう見えてくるのか
<くるい学>の窓からのぞいてみよう

(なだいなだ著『くるい きちがい考』〔筑摩書房、1978年〕より)




あー、また変なものを書いちまった、苦笑。
しかも、新年の一発目にww

皆さま、今年もよろしくお願い申し上げます。

               ウラノけいすけ 拝


ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛