第172回芥川賞の受賞者の会見で嫌な気分になるなんて
2025年1月16日の、あさから。
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昨日の午後、第172回芥川賞の受賞者の会見があった。
僕は1日遅れでこの会見をYouTubeで見た。
そこで、ちょっぴり思ったことを書いてみた。サクッと読んでみてほしい。
卑怯な質問
いつも記者会見を見ていると、思うことがある。
なんで、そんな意地悪な聞き方するんだろう。
記者の方々がプロフェッショナルだということは重々承知で言わせてもらうが、リスペクトやマナーをもう少し念頭においた質問はできないのだろうか?
常に質問のすぐ後ろに、大衆にウケそうな記事のタイトルが嫌な笑顔で顔を覗かせている。…少なくともボクはそんな風に感じる。
今回の会見でこんなやりとりがあった。
以下、やりとりを抜粋し、AIを活用して軽く編集したものを共有する。
(正確な情報が欲しい方は以下のURLから会見を見てみてほしい)
文字情報のみでもやっぱり嫌な気分になるやり取り…
嫌ポイントはいくつかあるが、感想を一言で!と言われたら
「これさぁ、アウティングだよねぇ?」と言いたい。
直接的な質問を避けているようでド直球なこの質問のタチの悪さ。
自分のトイレではないからと、次使う人のことを考えずに汚しても気に留めない人のような無責任さを感じた。
紳士的な対応
そんな質問に対して、安堂さんは重いカーテンに物を投げた時のような紳士さで対応した。
記者に対するリスペクトと会見の場でのマナーを念頭に置いて。
今回の会見でのこの質問の論点は、決してマイノリティへのアウティングではない。
記者という職業の倫理観やマナーといった部分にある。
そもそも会見という形式が、構造的に問題を持っているのでは?というような話をし始めたらキリがないので、今回は記者のに焦点を当てる。
記者(報道関係者)というのは、特権を駆使できる職業の一つだ。
映画でも、しばしば取り上げられる記者という職業は「苦悩・葛藤」が描きやすいのだと思う。
これは、一般人が特権を持つことによる一種の副作用なのかもしれない。
別にボクは記者という職業を批判したいわけではない。
ただ、自分たちの持つ権力の与える影響と、その先の未来を考える想像力をもっと持って欲しいと切実に願う。
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今回思ったことは、あくまでも「たまたまyoutubeで会見の映像を見た奴」の視点から語られる戯言でしかない。
会見現場にいたら…記者の家族だったら…安堂さん本人だったら…
ボクは見えてる部分でしか、理解、解釈していない。
ただ、今回はこう思った。ただそれだけだと思って読んでくれたら幸いだ。