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ノスタルジーに殺される
アラサーが近づいた今でも私はゲームが大好きだ。
今、職場の同期の間ではAPEXが流行っている。
その同期の楽しそうな輪に私も混ぜて欲しいと常々思っていたが、残念なことにFPS特有の視点や機敏な操作に慣れることのできなかった私は早々に断念してしまった。
そのため周囲に話してもそこまで盛り上がらないであろうゲームについて、私の語りたい欲を満たすために吐き出していこうと思う。どうか皆さんはその広い心でアラサー手前のゲーム語りを受け入れてほしい。
語りたいのは「ぼくのなつやすみ2 海の冒険篇」だ。
このゲームはミレニアムキッチン開発元の「ぼくのなつやすみシリーズ」ナンバリングタイトルである。(現在、4まで発売されている)
このナンバリングの中で一番の傑作は2だと思っている。
そもそも2までしかやっていないが、一番ったら一番なのだ。
◆メディア/発売日
PS2/2002年7月
psp/2010年6月
◆あらすじ
昭和50年8月、小学3年生のボク君は母親の臨月に伴い、伊豆半島の地「富海」で民宿を営む親戚家族の家に預けられる。
この地で夏休みという有限の時間の中、ボク君は様々な思い出を作っていくこととなる。
◆語りたいこと
①自由度の高さ
②対象年齢の広さ
③ノスタルジー性
①自由度の高さ
このゲームでは冒頭が語られた後の過ごし方はほぼ全て、プレイヤーの判断に委ねられる。
様々な人間と関係を深めてストーリーを追っていくも良し、虫集めに没頭して田舎町の王者を目指すも良し、ストーリーガン無視で惰性を貪るも良し。
ボクのなつやすみはプレイヤーの手により紡ぎ出されていくのだ。
②対象年齢の広さ
このゲームは子供でも大人でも楽しむことができるゲームだ。ただしその楽しみ方はプレイヤーが年を重ねるにつれて変遷していく。
発売当時、まだ小学校低学年だった頃の愛らしい私はボク君を通じてひたすら虫取りや魚釣り、素潜りに勤しんでいた。
もうアサガオはガンガンに枯らしていたし、登場する大人たちの会話は全く分からかなかった。ただひたすら狂ったようにザリガニを採取していたことは覚えている。それでもとにかく楽しかった。
しかし私が高学年になる頃にはある程度、登場人物の会話も分かるようになってくる。女の子にちょっかいをかけてしまう男子児童の気持ちも共感できるし、診療所のお姉さんにお盆にしか会えない理由も察してくる。
中高生になる頃には、このゲームはただ楽しいという感情で表すことのできない「何か」を掻き立ててくることにも気づいてくる。
様々な視点でこのゲームを遊ぶことができた私はとても幸運だったと思う。
CMを見たそのときからねだりまくった私、マジでナイス。
③ノスタルジー性
日常ゲームの代表的な作品として「どうぶつの森」や「牧場物語」が挙げられるが、「ぼくのなつやすみ」はそれらの作品とノスタルジー性の部分で差別化が図られている。
ちなみにノスタルジーとは広辞苑上に「故郷をなつかしみ恋しがること。また、懐旧の念。郷愁。」と記されている。
つまり懐かしさとは、かつての自分の楽しかった記憶を反芻して幸せの感情に浸ると同時に、もう今では取り戻すことのできないことに対する寂しさも同時に意味しているのだ。
このゲームの時代背景は昭和50年(1975年)と私が生まれるはるか昔となる。
そのためこの時代を生きたことは無いはずなのだが、なぜだか自分にも彼らと同様の経験をしたような「懐かしい」という感情が呼び起こされるのだ。
私にとっての印象深い夏休みの思い出は、母親の故郷である九州の離島で過ごした日々だ。過ごした期間はせいぜい一ヶ月程度だが、近所の子供たちとも仲良くなり虫取りや川遊びをした時の楽しかった記憶を今でも強く覚えている。
このゲームでは登場人物同士の何気ない会話や、セミの鳴き声、川のせせらぎから生まれる音が私のその眩しかった夏休みの情景を徐々に呼び起こしていく。
今は東京でひたすら会社とアパートの往復を繰り返す日々だが、それ故にノスタルジー性を強く感じるのだ。
この懐かしくも寂しい感情はこのゲームでしか味わえないと思う。
この記事を読んでくれた方は是非プレイして欲しい。