民主記念塔と3つのラーチャーダムヌン
いつも目にしている民主記念塔、
歴史的経緯は詳しく知りませんが立憲革命の象徴、
どうやら完成は1940/06/24、
ラマ5世欧州外遊、
パリ、
シャンゼリゼ通りに感銘を受け作ったのが3つのラーチャーダムヌン通り、
道路造成中には当然になかったでしょうが。
ラマ7世治世、
絶対君主制から立憲民主主義成立ですが逃げるように外遊、
結局は帰国されないまま死を迎えていますよね。
(1939年6月24日)
礎石敷き設式と説明がありますが当初は碑を囲むように道路両側、
マホガニーの木が植えられていたそうですが1940~42にかけての道路拡張により撤去、
現在の姿に、
(完成祝賀写真)
民主記念塔取り壊しラマ7世記念碑へと建て替え、
構想があったようです。
(完成予想図)
予算不足、
結局は立ち消えで現在の姿のまま、
ひょっとすると今の見慣れた姿形、
異なっていた可能性も?!。
民主記念塔、
まさにタイ民主主義の象徴でしょうがその時々の政権(権力者)、
様々な事情が働いたようです。
民主記念塔廃止案、
元々、
タイ人民党1932年政権交代を記念して建てられたものですが第2次世界大戦後人民党崩壊、
それまでの旧勢力によって画策されています。
内閣による決議、
成されたようですが現在も残る理由は先ほど書いたとおりの予算不足、
民主記念塔解体、
かなり根強い意見だったそうですが、
立憲君主制から古の絶対王政復古を目論むX様、
ラーチャーダムヌン通り沿いの建物すべて撤去、
一部工事は始まってますが他はフェンスで囲まれ立ち入りが出来ません。
一番に破壊したい建物、
間違いなく民主記念塔なんでしょうが。笑。
写真、
現在のメインストリートである民主記念塔通りがラーチャーダムヌンクラン、
(バス車内からピンクラオ橋方向)
王宮から北方向に伸びるのがラーチャーダムヌンナイ通り、
(正確には王宮角から北がラーチャーダムヌンナイ通り)
(陸軍総本部前)
パンファーリラート橋からアナンタ・サマーコム宮殿までがラーチャーダムヌンノーク通り、
今でもタイ官庁が立ち並ぶ通りですね。
写真はラーチャーダムヌンノーク通りから民主記念塔方向、
ラーチャーダムヌンクラン通りへ右折するバス車内から写したものです。
กลาง (クラン)は中、中間、
นอก (ノーク)は外、
ใน (ナイ)、ข้างใน (カンナイ)、は内、
民主記念塔、
バックにし記念写真?ですが1974年、
面影、
何となく残ってますがテレサテンです。
毎日のように通過する場所ですがやはり歴史あり!ですよね。笑。
タイ民主化デモ、
こちらに集まり大騒ぎはご存知ですよね。笑。
3つのラーチャーダムヌン、
「それがどうした!」、って深い意味があっての記載ではありませんです。笑。
ここから先は
モノクロームバンコック(表裏一体)
ちょい思い事で離脱、 どうやらnoteさん、 裏話は禁止のようですし。笑。 裏話が書けぬならフリーの表話のみ、 面白みもありませんのでプラ…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?