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トラム(旧市街)ルート

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日本人、
どうしても地図を観る癖でしょうか手前(下)が南で右手が東、
そんなイメージで古写真も見てしまいますがトラム、
少し蛇行し北方向へと走っています。


今まで書いてきたパークロンのエンパイア映画館前からチャロエンラット橋を渡りマハラット通り、
ワットポー横を通過し王宮(サナームルアン)へ、
昨日書いていた歩きルートそのままです。

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赤バスと電化トラム、
違いはありますがルートと写真場所は同じ、

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路面電車写真、
どうやら道の真ん中から写しているようですが今では不可、

まぁ、
同じ場所だと分かって貰えればそれでいいんですが。笑。

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現在、
確認が取れているルートですがターティアンから先、
一部不明な部分もありますが王宮横を通過し国立劇場前からバンランプーヘ(現在のカオサンエリア)、

動画、
バンランプーエリアからラーチャダムヌン通りを横切りマハカーン砦部分、
マハチャイ通りを南下でサムヨット交差点へ、

ワットリアップ発電所から右折しチャクラペット通りからワッポー裏ですが動画最後では逆ルートが写っています。

今ではラマ1世公園の一部となった噴水ですが動画では独立、

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バス車内からなんで見辛いですが噴水、
水は出てませんが電化トラム、
公園と噴水間を通過しているのが確認出来ます。

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(1968年廃事業)

ワットポー裏、
運転手が手を振ってますがどうやら路面電車廃止での最終運行日との事、
故の動画残りなんでしょう。

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サナームルアン走行のトラム、
間違いなく第一次世界大戦義兵碑前だと思うんですがね~。

当たり前なんですが背景も変わり、
どちらから写したのか確定出来ません。
現在の53番赤バス待機所前のような気も致しますが。笑。


兎に角、
ワットポー裏からターティアン、
サナームルワンからバンランプーへ抜けマハチャイ通り(マハカーン砦)ルート、
一方通行ではなく単線での相互通行、
山手線、
大阪なら環状内外周りでしょうね。

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最盛期、
たくさんの乗客で溢れたようですが稀に走行不能へ、
200人ほど乗れば動かない事態もしばしば、
そんな記載もあります。

2431年、
馬引きの路面電車がチャルンクルン通りスタート(バンコーレムライン)、デンマーク人による電化トラム移行は確か書いています。

前記載、
電化は翌年と書いてましたがこちらの資料では1894年、
タイ初の電力会社、
サイアムエレクトリックが電気供給はどうやら合っているようですが。

以降、
同じくデンマーク人率いるサムセンライン開業(1900年)、
以降、
続々とトラム事業参加者増にてドウシットラインなど(1908年)、

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Ladawan Palace (Red Palace)前のトラムと書かれていますが王室財産管理局、
今回のデモ、
標的にもなりましたがクルンカセム運河向こう、
こちらがドウシット線なんじゃ?!。

初登場から100年近く存在、
変遷に加えルート、
一記載で済む筈もありませんよね~。
ラマ4世通り、
走行のトラムも以前少しですが触れてますし。

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(脱線転覆もお約束?)

トラム話、
昨年、
シリーズ化にて書いてましたが一部転載、
旧市街地ルートは粗判明、
お読みになる方がいらっしゃるなら追々とこちらにも続きを上げていきます。

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ちょい思い事で離脱、 どうやらnoteさん、 裏話は禁止のようですし。笑。 裏話が書けぬならフリーの表話のみ、 面白みもありませんのでプラ…

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