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ラマ5世顕彰館

振られ続けのラマ5世顕彰館、
ようやく開いてました。

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王宮への観光地下道?工事、
態々と見に行った訳でもなくこちらのついででしたが。笑。

アパート前から80番乗車でサナームルアンが終着、
ほぼ目の前に存在ですしね。
(料金13B)。

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ただっ広い施設、
学芸員?のやる気のなさもお約束ですが訪問者は私一人、

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そらぁ~、

「その態度では客は来んやろ~!」、って無料なんで文句も云えませんが、

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(お馴染みの写真)

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(ラマ5世紋章)

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ラマ5世、
タイの救世主で英雄、
私が書くまでもありませんので簡単にスルーしておきます。

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展示室へと入りますがやはりメインはチャックリー改革、
主にラマ5世中心の展示でしたがチャックリー改革はラマ4末期からのタイ近代化の流れ、
ラマ6世まで含むとの説もあり!、

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モンクット王(ラマ4世)とのツーショット写真もお馴染みですが先ずは生い立ち、

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16才と書かれてましたが老け顔ですよね~。
15歳で即位してますのでラマ5世時、

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(垢抜けた写真)


晩年のふっくら顔はお馴染みなんですがあまり目にしないお写真、
美男子とも云えなくもありませんが、

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(戴冠式)

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晩年のファミリー写真、
中央左、
後のラマ6世ですが偉大な父親を持った為か鬱曲、
男色に走り女装趣味、
高じてタイ王室親衛隊を美男子揃えで興に入ってたようです。

散財にて王室財政圧迫、
男と女の違いはあれど今現在のラマ10世と似通ってますよね。笑。

当然に跡継ぎ無し、
唯一のお子さんは死の直前(2日前)で女の子でしたが、

しかし、
今と異なりかなりの善政(改革)も敷いています。

X様、
比べると可哀想ですが。笑。

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やはりメインは奴隷制度の廃止、

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まぁ、
正確にはちょい異なるようですが、

次ですがパネルのみ、

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ラマ5世最大の恥辱パクナム事件
フランス、
滅多滅多にやられ放題、

「刑の執行を待つ死刑囚の気分!」、

有名なお言葉ですがメコン川から東、
タイの土地すべてをフランスに割譲(盗られ)してます。

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火を吹くアームストロング砲ですが悲しいかなあまり命中せず!、
実物、
未だ残されていて見学も可能です。

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描かれているのはチャオプラヤー川でしょうがマイナス(暗黒史)なんで簡単にスルー?、
時代進んで戦勝記念塔(アヌサワリー)、
日タイ友好同盟、
フランスに奪われた土地奪回を記念し作られたのはご存知でしょう。

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(チャンタブリー沖でフランス軍と交戦する戦艦トンブリー)
 

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余談ですが一部陸上展示
頑張れば見せて貰えるかも?!。笑。

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外遊、
訪れた国々の列挙です。                    

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近代化へのパネル展示、

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毎日のように歩いているラタナーコーシン、
やはり、
当時はタイ最先端のモダンな通りだったんですよね。

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お次が逓信、

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タイ初の西洋郵便局、
今でも現役でチャオプラヤー端に立ってます。

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別ブログ、
頻繁に登場してますので詳しくは書きません。

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(なぜかタイ初の西洋酒屋写真も)

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外せないのは鉄道、
今でもチュラロンコン大王記念日(10/23)には日本製SLが記念運行、
こちらも散々に書いてますので割愛です。

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(トンブリー駅でのお召し列車)

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(インフラ整備の近代化)

宮殿模型の部屋、

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(壁一面に功績?)

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(記念切手)

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(一応?X様関連)

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廊下、
たくさんの写真が飾られてますが説明がないので場所など不明、

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廊下から見た瞑想館
こちらも詳しい説明は済んでます。

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(記念絵葉書)

ミュージアムショップまであり驚きでしたがTシャツ、
驚愕の330Bでした。笑。

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ざっと1時間ほど、
その間に誰とも会わずの訪問者皆無、
まぁ、
冷房も効いてますので涼みがてらの無料展示施設、
そう割り切れば案外と有意義かも?!。

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ラマ5世博物館、
訪問出来て良かった良かった。笑。

ここからは蛇足、
日本の明治維新とも比較されるチャックリー改革ですが奇しくも即位が明治天皇と同じ、

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共に1668年、
1887年日泰修好宣言から現在までの長いお付き合い、
まぁ、
その間色々とありましたがタイ好きの日本人多し、
尤も、
好きなのはネオン煌く夜でしょうが。笑。

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蛇足続きですが後のラマ6世と7世も来日、
ラマ7世、
こちらも奇縁なんですが即位年は昭和元年(1926年)、
つまり、
昭和天皇と同じ年です。
1931年、
タイ国王となってからの来日、
2度来ている事になりますよね。

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1963年、
プミポン国王夫妻が来日ですがこれでラマ6,7,9世が来日ですね。

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日タイ修好100周年、
X様(皇太子時代)来日ですが日本側の対応が気に食わず嫌日家へ、

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プミポン国王在位60周年記念祝賀会(2006)、
天皇皇后両陛下訪タイ、
この辺りなら何とか記憶にありますがプミポン国王逝去、
秋篠宮様が代理出席でしたが同年、
ベトナム帰りに訪タイで弔問されています。

プラーニン
ティラピアを通じタイの食糧事情改善に貢献、
懐かしい旧友を偲んだんでしょう。

X様即位、
ラマ10世時代ですが日本では令和だそう、

実は私、
令和は知りません。

平成から令和への実感はまるで無し!、
まぁ私の感覚、
昭和で止まってもいますが。笑。

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