【小説】チョコレートケーキ
決して叶うことない想いに君が幻想を見せてきて、僕の脆弱な理性を揺るがせてくるんだ。それは甘くてほろ苦い、そして最後には無くなってしまうチョコレートケーキのようなものだろう。だからこそ僕はゆっくりとフォークを進める。まだ終わらせたくない。
橙色の街の灯りが、頼りなく僕を照らす。僕はアカリを待っている。今日は彼女と二人っきりで食事に行く予定だ。アカリは大学生の時からの友達で、社会人2年目になってもまだ友達のままだ。
「タケル、お待たせっ!」
待ち合わせ時刻になっていないにもかかわらず、遅れたかのように急いで僕の元にやってくる彼女を見て、恥ずかしがるように笑みを浮かべてしまった。クールなブラックコーデに、まろやかなベージュのチェスターコートで着飾った彼女は、あの頃とは違って少し大人びていた。そんな彼女の姿に、もう取り戻すことのできない時間の流れを感じる。
「ねぇ、どこか行きたいとこある?私は回転寿司の気分なんだよねー」
そんな彼女の言葉に僕は思い耽ってしまう。回転寿司って久しぶりのデートっぽくないよな。まあ、当然だろう。なんせ彼女には夫がいる。彼女は既婚者だ。大学を卒業して一年後に結婚した。だからデートなんかじゃない、久しぶりの友人との食事なだけだ。だけど、今はそんなことを意識していたくない。回転寿司に行くってことはさ、多分気心の知れた関係ではあるってことだよね。親しみを感じる相手。そんな感じで無理矢理ポジティブな方向へと思考を引っ張っていく。
「うん、いいよ。回転寿司なんて俺も久しぶりだしね」
じゃあ、行こっか。僕がそう言うと、彼女は理性を溶かすような笑顔を見せて横に並んで歩き出した。そこから店に着くまで、たわいもない会話を続けていた。この時空間が僕に幸せを思い出させる。核心的なことには触れない、ただの近況報告。こんなセリフは決して似合わないけど、やっぱり君と会えるのは嬉しいよ。だから何もかも失っても君のそばにいたい。そんな想いは決して僕の口から紡ぎ出されることはなかった。
結局、食事中の会話でも核心を避ける話題しか生まれなかった。結婚生活のこととか、今の僕の彼女の話とか、そういう話題を出せば全てが終わる気がしたんだ。彼女の口からもそういった話題が出なかったということは、もしかしたら僕らはある意味共犯者なのかもしれない。もしそうだとしたら、お互いの罪悪感を昇華させるような、周りに多大な迷惑をかけることを厭わないような結末を迎えたい。失った時間を埋め合わせるように、お互いに感情を剥き出しに出来る関係になることを願っている。
「じゃあタケル、今日はありがとね。また一緒に出かけようねっ!」
「うん、こっちこそありがと! 年末に見たい映画あるんだけど、どうかな?」
「もちろんいいよ! それじゃ、またねっ!」
じゃあ、そう言うと彼女は少し暗い顔見せたあと、僕に背を向けて歩き出した。少しは期待してもいいのだろうか。彼女の言葉や振る舞いが、僕に甘い期待を生み出させ、それと同時に目の前を横たわる現実が心の奥底に苦しみを与える。きっとこんな核心を避けた関係を続けることは間違っているのだろう。でも、終わらせたくない。あのとき決断しなかった、失敗を恐れて先へ進めなかった後悔を、これからも拾い上げながら、僕はこの先も生きていくのだろう。
街のネオンが照らす僕の帰路は、少しばかり霞んでいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?