ショートショート33 『最高の贅沢』
『最高の贅沢』
とある文筆家の男がいた。
主にコラムやネットニュースなどを書いたりして生計を立てる日々。
書くことが好きで好きでたまらなかった男は、文筆家が自分の天職だと信じて疑わなかった。
なるほど、好きこそ物の上手なれだ。
好きなことを生業として、成功できるのならばそれに越したことはない。
しかしながら男は、文筆家としてそれほど富や名声を得ている訳ではなかった。
文章能力も平々凡々。
お世辞にも誰もが彼に執筆を頼む、などということはなく、その日暮らしに近い文筆家。
だが男には、確かに才能はあった。
それは物書きとしてではなく、“想像すること”の才能だった。
男は仕事で書く文章が一段落つくと、また、趣味として文章を書いていた。
その時間が男にとっての至福の時間であり、この上ない贅沢となっていた。
前述した通り男は、“想像するという才能”が常人のそれを遥かに凌ぐ。
つまるところの早い話この男は、“自分が趣味で書いている文章をさも現実世界のことように落としこめた”のだ。
例えば、ある日の男は趣味の文章をこう綴った。
「俺は海外旅行に行ったことはない。だから今から行こう。ハワイにしよう。海外旅行と言えばまずはハワイだ。思い立ったがハワイ。照りつける太陽。踊り子と笑顔が溢れるビーチ。ああ、潮風が最高に気持ちいい」
拙い文章でこう綴った男はそこから目を閉じその状況を想像する。
すると男の身に驚くべきことが起こった。
身体から心地よい汗が流れ始め、耳にはフラダンスの音色が聞こえ、気分は一気に高揚する。
ひとしきりハワイを楽しみ、想像を終えた男はうっすら日焼けさえしていた。
男はこの時、間違いなくハワイに行ったのだ。
想像のみで。
もはやこれは才能を通り越して能力と呼んでもいいだろう。
男は自分のペンと常軌を逸した想像力に酔いしれた。
まさに酔うといえば、ある日の男はこう綴った。
「今日は飲みたい気分。本業の執筆にボツが続いている。飲もう。まずはビール、次にハイボール、バーボンなんかも飲んでみるか。そうだな。一人で飲むのも寂しい。バーで一緒に飲んでくれる女性が欲しい。偶然隣に座った、失恋したてのかわいい女性と飲もう。お互い弱音をぶつけあってその日、俺たちは一つになるのだ。一夜限りの刺激的な夜だ」
そうして、目を閉じると、男は紛れもなく酒に酔い、いないはずの女性を抱きしめ、一夜を共にし、朝は裸で目覚めていた。
男はこの日もまた想像のみで、間違いなく一夜のアバンチュールを惜しむことなく楽しんだのだ。余韻でまだ興奮が冷めないといった面持ちだ。二日酔いで頭もガンガンしている。
一見、欲望に満ちた話が続いているが、他人に迷惑をかけている訳ではないし、あくまでこの男の想像力の強さがなせる技だ。
誰にも咎める権利も必要も無いだろう。
この趣味の時間は毎日のように続いていた。
さあ今日は何を書こう。
男は想像した。
本業の執筆が上手くいかず金も無く、とにかく腹が減っていた男はシンプルな欲望を書いた。
「カニが食べたい!カニだけで死ぬほど腹一杯になろう!」
それが男の最後の執筆となった。
~文章 完 文章~
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