ショートショート67『だれかがだれかを』
ショートショート
『だれかがだれかを』
「よしよし!売れる!これで売れる!」
20歳から始めた芸人。
その男の名前は山下一座。
一座、というのはもちろん芸名であり、ファンのみんなもぼくの一座ですよ、というダサめの意味も込めたピン芸人だ。
30歳のときに、初めて出たテレビ番組で爪痕を残した山下は、分かりやすく有頂天になっていた。
お笑い芸人、ピン芸人として、初めて掴んだ分かりやすいチャンス。
10年間、誰にも見向きもされなかったイチ芸人が遂にものにしたチャンス。
田舎から上京し、これまで小さなライブや劇場、日々のバイトでなんとか食いつないできた山下からすれば、全国ネットのバラエティー番組でネタを披露できたことは大いなる進歩だった。
しかし、月並みだが、現実はそう甘くない。
確かにテレビに出たことで、ごく一部ではあるが一定数の人達に認知はされた。だがこの入れ替わりの激しいお笑い戦国時代。まさに群雄割拠が入り乱れし昨今。
ひいてはSNSやYouTubeなど、エンタメにおけるライバルは果てしない。
一度テレビに出た程度で、人生がさして変わらないことを山下はすぐさま感じとった。
それでも、一歩一歩、積み重ねていけば誰かが見てくれるはず。見つけてくれるはず。
ーーーそう信じ、5年の時が流れた。
山下は35歳。現状に大きな変化はなかった。いや、それでもじわじわとファンも増え、お笑いファンにはそれなりの印象と記憶を与える程度の芸歴と存在にはなっていた。
ここで、お笑いの世界のことを知らない人のために(まあ実際に経験してない人はそのほとんどは知らないのだが)説明すると、毎年1000人以上の人間が芸人の門を叩く。
中には早々に諦めるものもいれば、しがみつくもの、チャンスを掴みとるもの、様々だ。
そしてこのチャンスを掴みとれるのはごくごく僅か。
一度もテレビやメディア、その他の仕事に恵まれず、芸人だということをバイト先の連中だけにしか認知されず、辞めていくものがほとんど。安定して食べていけるのは、1000人中10人もいればいいほうだろう。
これは芸人だけに限った話ではないが、華々しい舞台の影には、あまたの夢破れたものたちの存在がある。
山下が一番かわいがっていた、4年ほど後輩の長谷川もその一人だ。
かなりのセンスはあるはず、と山下本人も認めていた。だが、長谷川は家庭の事情によりドロップアウトを余儀なくされた。
山下の一番の理解者であり、互いの相談相手にもなっていた長谷川の芸人引退は、世間的には一ミリの影響も起こらない出来事ではあった。が、山下からすれば、とんでもない出来事だった。
ある日、高円寺の騒がしい安居酒屋で、長谷川は山下に打ち明けた。
「山下さん、おれ、もうやめようと思ってます」
「なにをやめるって?タバコか?浮気か?」
「いやどっちもしてないです。浮気はまあ一回したか。いやそうじゃなくて」
「ん?」
「この世界。芸人、やめようかと」
「…いや。え、嘘だろ?お前が?おもしろいのに!いやいやいや、もったいない。せっかくここまでやってきたのに」
「いや~、もういいかなって。11年もやってほとんど結果出せてないですし。ほら、あと実家も親が病気して大変なんで、帰らないとダメなっちゃって。やりきりましたし。うん。やりきりました。芸人、楽しかったです。ほんと」
「…マジかよ」
「おれがいなくなったら山下さんの愚痴とか聞く人ゼロになりますね。ははははは」
「いや、ほんとだよ!やめないでくれよ!愚痴聞くためだけに!」
「やめない理由としてはあまりに弱すぎます!はは…はは。うう…すんません…うぅ」
「長谷川…。いや、ありがとうな。今まで。ありがとう。おつかれさま」
「ほんとお世話なりました…山下さん…!」
一人の、売れなかった芸人が芸人をやめる。
それ以上でもそれ以下でもない。
その日以来、山下は奮起した。
長谷川のぶんまで、などというキレイゴトを並べるつもりはさらさら無かったがやはり、かわいがっていた後輩の引退は山下にとってはセンセーショナルな出来事だった。
慣れないSNSやYouTubeにも一層の力を入れ動きだした。
ーーーそしてまた、3年の歳月が経った。
山下は38歳。相変わらず、現状に大きな変化はない。バイトも日数は減らせたが、辞められてはいない。お笑いが好き、夢半ばあきらめた仲間のために、という思いがいくらあっても、勝利の女神は微笑まない。
そんな中、山下になんと子供ができた。
正確には彼女の妊娠の知らせ。
5年ほど付き合い、献身的に支えてくれていた彼女との子供。
自分が父親になる?
売れていない自分が?
子供ができたという素晴らしい事実を手放しで喜べない自分を恥じた。真に恥じた。
山下は気がつくと、長谷川に電話をしていた。
「あ…もしもし…長谷川?」
「え?山下さん!久しぶりじゃないですか!えー!どうしたんすか?!元気すか!?」
「いや、まあ元気は元気なんだけどさ、うん」
「…どうしました?」
「おれ…子供できてさ」
「え?」
「どうしたらいいのかなって。長谷川のぶんまで頑張ってたつもりなんだけど、こんな無責任なことになって」
「いやいや、山下さん」
「え」
「おめでとうございます。良かったですね。良かった」
「おめでたい…そうか。そうだよな」
「ええ。おれも実はこっちで結婚して、子供います。女の子で。マジ、めちゃめちゃすよ。めちゃめちゃかわいいのなんの」
「そうか。そうかそうか」
「これからどうするか、決めるのは山下さんです。おれ、山下さんがどれだけお笑い好きか知ってましたから」
「うん。うん」
「でも、彼女さんも大事にしてたのも知ってます。…なんて言うのかな。後悔のない決断、なんてムリなんすよ。あれよく言う人いますけど」
「うん。うん」
「後悔してもいいんで、山下さんが決めたことが正解っす。てか、正解にしていく、って感じすね。多分。ははは」
「ああ…ああ、ありがとうな。長谷川」
山下は、芸人を、辞めた。
後日、少ないながらも応援してくれていたファンのために、YouTubeの生配信、そしてTwitterで引退の報告をした。
「山下一座は芸人をやめて、家族3人でまた新たな一座を築いてまいります。今まで、応援ありがとうございました!」
18年間、走り続けた芸人の引退報告としてはあっさりと儚いものだった。だがそれでいいと山下は思っていた。去り際になにを言うことがある。
そして、現金なものだと言ってしまうといささか語弊はあるが、辞めるとなったら今までどこに隠れていたのかというほど膨大な数のファンのコメントで、山下の引退は惜しまれた。
同期や後輩、先輩たちも口を揃えて、お疲れ様と言ってくれた。
いつだって人は、別れの花道には、花を添えたい生き物なのかもしれない。
「ふっ。おれ、こんなにファンいたっけ。ははは」
大好きだった芸人を辞めた。
後悔は、あった。
だがこれでいい。これが正解だ。
いや、これを正解にしていくんだ。
長谷川の言葉が山下を救っていた。
生まれてくる子供や彼女のことを思うと、これまで以上にやる気に満ち溢れている自分がいることに気がついた。
山下の田舎の実家と、彼女の実家は偶然にも近く(その共通点で二人は仲良くなった)海が見える街だった。目を閉じ、家族三人であの海辺を散歩できたらなと想像すると、とても幸せな気持ちになった。
芸人をしているときには、感じ得なかった感情だった。
*
「山下一座さん!今までおつかれさまでした。いつも本当に元気もらってました。これからも頑張ってください…と…。これでいいのかな?あ~。そっかーーー。山下さん辞めちゃうのかぁ」
言いながら初めて、山下のYouTubeやTwitterにコメントを残したこの女は、某有名ガールズバンドのボーカル、亜美。
亜美は、若者のあいだでは世間的に知らない人はほぼいない、売れっ子のアーティストだった。しかし、事務所的な戦略としてプライベートをほとんど明かしていないため、どこの誰が好きだとか誰のファンだとか、などのパーソナルな情報を自ら公言してはいなかった。
今回の亜美から山下へとコメントも、サブアカウントを使った匿名での、最初で最後のコメントとなった。
数年前、まだ亜美が世に出ていない頃、ふと暇潰しに漁っていたYouTube動画に、山下が偶然ヒットした。亜美はハマった。おもしろい。なにこの人。まだあまり売れてはなさそうだけど。金の卵を見つけた気分だった。
そこから日々、なにか辛いことがあると山下の動画を見ては、笑い、元気をもらっていた。
亜美の心の支え、とまで言ってしまうと大げさかもしれない。彼女が売れたのは本人の並々ならぬ努力や、類いまれなる運の賜物だろう。だが、亜美がブレイクしていく道中に、確実に芸人山下という癒しの存在は、いつも近くにあった。
ブレイクしたキッカケとなった曲『夢の途中のまだ途中』は、なんと山下からインスパイアされた楽曲でもあった。
「ほんと、きびしい世界なんだな。芸人さんってのも。ありがとう山下さん。おかげでわたしがんばれてるよ」
亜美はそう呟くと、心から“元”芸人山下に感謝した。
*
「まさか自分が金メダルをとれるとははい…思ってもみなかったですし、本当に応援してくれたみなさまのお陰です…!あ、あと、大好きな亜美ちゃんの歌声をいつも練習中に聞いてました。それでずっとがんばれました!」
インタビューで華々しくそう語るのは、今季のオリンピック水泳で金メダルに輝いた橋本由美選手。
スポーツ選手の中には、集中する際に好きなアーティストの曲を聞くものが一定数存在する。
橋本もその一人。亜美の大ファンを公言しており、文字通り彼女の金メダルに一役買っていた。
亜美の楽曲『夢の途中のまだ途中』は橋本の中でも大きな存在となっていた。
*
「すごいすごい!わたちもやりたい!」
「水泳したいのか?」
「うん!する!きんめだるとる!」
「ははは。難しいぞ。金メダルなんて。まあでも小さいうちに泳ぐのはいいかもな。よし。始めるか水泳」
「はじめる!およぐ!」
オリンピックを見ていた長谷川の子供が、将来の夢を決めた瞬間だった。
*
自分のがんばりを、
“誰かが見てる”ということに、
最後まで本人は気がつかないかもしれない。
でもきっと、誰かが見てくれている。
どこかで繋がっている。
あなたが胸を、熱くする限り。
~文章 完 文章~
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