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ショートショート71『その赤いソファー』

男が散歩がてら、散策もかねて、普段あまり通ったことのない道で帰っていたときのこと。

ふと、粗大ゴミ置き場を発見した。
そこには“ゴミ”と呼ぶには似つかわしくない、まだまだ綺麗で使えそうな、高級感のある赤いソファーが捨てられていた。
一人用だがゆったりと座れるサイズ感。

そこは郊外で、ひとけもない場所だった。
とはいえ、しっかりとあたりに誰もいないことを確認する男。そして、何の気なしに腰をかけてみた。

「……ああ……なんだこれ。いい。いいぞ」

フカフカだがそれでいて、しっかりと身体を支えてくれる、えもいわれぬ座り心地。ここがもし家具屋かなにかで、試しに座っていようものならすぐに財布と相談していただろう。

持ってかえろうかと一瞬よぎったが、人としてそれはどうかとも思うし、さすがにこのサイズのものをおいそれと運ぶことはできない。

だがしかしなんというか、本当に、本当に、本当に座り心地がいい。
気がつくと男は、10分ほどそのソファーに腰かけていた。

「なにやってんだ俺は……」

我に返った男は、一時の安らぎを噛みしめ後ろ髪を引かれつつも、その粗大ゴミ置き場をあとにした。

違和感を覚えたのは、家で夕食を食べていたときだった。
一人暮らしの大学生の身。六畳にも満たない狭い部屋だったが、仕送りなんかしてもらってる自分の身の丈にはあっていた。
実家から持ってきた座椅子にもたれていると、なにやら身体がだるい。いや、だるいというか体勢が釈然としないというか。その座椅子の座り心地が、“すこぶる悪く”感じたのだ。

「……どういうこと?」

男はお尻を何度も移動させては、座り心地が良くなるポイントを探したがどうにもフィットしない。尻ポジがよろしくない。試しに座椅子をやめて、地べたで座ってみたが、まだそちらのほうがマシに感じたくらいだ。

「まさか……?」

まだラーメンの途中だったが、男は家を飛び出し、足早に先ほどの粗大ゴミ置き場へと向かう。

あった。よかった。男は人目も気にせずソファーにお尻を預けた。

ああ……これだよ。この感じ。最高だ。

気がつくと男は、そのあまりの座り心地の良さに吸いこまれ、また10分ほど離れられないでいた。

男にある仮説がよぎる。
もしかすると自分は、このソファー以外は受けつけない身体になってしまったのではないか。

人間というやつは、一度“いいもの”を知ってしまうと、それが物差しとなり、それ以降は無意識に比較してしまう生き物だ。
前のスマホのほうが使いやすかったなとか、前の中華のほうが美味しかったなとか、前の彼女のほうが優しかったなとか。
要するに「前の椅子のほうが座りやすかったな」ということか。
いやしかし、そんなことがあるのか。
理屈は分からなくはないが、さっき少しだけ座っただけなのに。馴染むのが早すぎる。
実家の座椅子も、あれはあれで年季の入ったお気に入りの椅子だったのに。

悩んだあげく、男はソファーを持ってかえることにした。粗大ゴミを持ってかえる、という行為に多少の後ろめたさはあったが、背に腹は変えられない。

驚いたことにそのソファーは、見た目の高級感とは裏腹にとても軽かった。
まあ軽いといってもそこはソファー。それなりに体力は使ったが、男一人でなんとか持ち運べるものだった。

「よかったよかった」

そう呟きながら、再び家路を急ぐ男。

家にたどり着き、ソファーを置く。
六畳の部屋には不釣り合いでひどく浮いている。一気に部屋も狭くなった気がした。

しかし……ああ。いい。いいぞ。
完全に伸びきったラーメンを横目に、ソファーによる至福の時間を享受する男。もはやソファー様と呼びたい。男はそれくらい、この赤いソファーとの出会いに感謝した。

「これはいい拾い物をしたぞ」

次の日から、男は家に帰るのが楽しみになった。
それもそのはず。
どんなに癒しのマッサージよりも、ストレス発散のカラオケよりも、それらに勝るとも劣らない最高のソファーが待っているのだから。

しかし、ソファーと過ごして数日がたった頃、男はこのソファーに“特殊”な性質があることに気がついた。

前述した通り、“座るといつのまにか10分間ほどたっている”この赤いソファー。
最初はあまりの座り心地の良さがゆえに、さして気にもとめていなかったが、これはなかなかどうして。

毎回となると、ややもすれば奇妙にも感じ、いつもは座ると決めこんで座っていたのだが、あるとき“座ってすぐに”立ちあがろうとした。
だが不思議なことに、身体が動かない。
いや、厳密にいうともちろん動けるのだが、逆に疲れるというか。
ただ、座っているぶんにはとても心地がいいのだが、すぐに立ちあがろうとすると、なにやら身体中に重力でもかかっているかのような圧。

まるで、ソファーに「ゆっくり座っていってよ」と止められてるような。
なぜそんなことになるのか、理由はまったく分からないのだが。

ただ、男はソファーを持ち帰ってしまうくらい能天気な性格だったため、「まあ別にいいか。ゆっくり座りたいときだけ座ればいいし」と、一瞬感じた奇妙さに対して、すぐかぶりを振って切り替えた。

ソファーとの別れは、ある日突然やってきた。

男は、大学の同級生に軽い気持ちでこのソファーの話をした。
するとその同級生は大いに食いつき、「一度見てみたい」と言いだしたのだ。

別段断る理由もなかったので、男は同級生を引き連れ、放課後アパートの狭い部屋に招きいれる。

「これなんだけど」
「へ~、見た感じまあ、普通にソファーだな」
「言ったじゃん。別に普通だって。でもほんとに」
「座り心地がえぐいんだろ?一度座ったら立てないほどに?ほんとかよ~」

軽口をたたかれながらも、男は興味があった。
自分以外の人間も、このソファーの虜になるのかどうかを。

「じゃ、ちょっと失礼して」

そう言いながら同級生は、ドカっとソファーにもたれこむ。
男は同級生のリアクションを期待したがそれはもう、期待通り、いや期待以上のものだった。

「どう……?」
「おいおいおいおい……んだよこれ。マジかよ。めちゃくちゃ気持ちいい」
「だろ!?な?言ったとおりだろ?!」
「ああ……これは、いい。いいよ」

こうなってくると、男はこのソファーを手にいれた自分がますます誇らしかった。

「こんなのが帰って家にあったら最高じゃん」

欲しい言葉をくれる同級生。

「毎日俺も座るの楽しみなんだよ」
「だろうなあ。いやもう、ダメ元で聞くけど、くれない?」
「ダメに決まってんだろ。ははは」
「だよなぁ。あーーーーー。いいわぁ……」

初めてソファーに腰かけたときこんな感じだったのだろうな、と自分に置き換えたあたりで、男も無性に座りたくなってきたことに気づく。

「……おい、そろそろどいてくれよ、俺が座る」
「いやもうちょっとだけ」
「なんだよもう」
「はははっ。うそうそ。よいしょ……うん?」
「どうした?」
「いや……その、なんだこれ。身体が離れないというか」

まさか。この同級生も。自分と同じくソファーに足止めをくらっている状況なのか。
男は、むりやり立ちあがるよう、同級生を促す。

「ほんとかよ……ちょ、むりにでも立ってみてくれよ」
「ああ……よっ……うーーん……はぁ……ダメだ。きつい。めちゃくちゃ疲れる。なんなんだよこれ」

まちがいない。
この同級生もまた、男と同じくソファーの性質が発動しているようだ。

「わかった。そのままでいい。10分もすればいけるはず」
「そ、そうなのか……?ああ。なんだかわからんがオーケー。少しこわいな。でも……気持ちいいわぁ」

ほどなくして、同級生の男が立ちあがる。

「いや、マージで座り心地いいわ。立てないほどとは思わなかったけど」

この同級生も、立てなくなる不気味さよりも、座り心地の良さのほうが勝ってくれているようだ。
それほどの魅力がある赤いソファー。

「まあよかった。じゃ今度は俺が……ん?」
「どした?」

いつも通り、男がそのソファーに腰をかけた。
だが座り心地はいつも通り、ではなかった。

「なんだよこれ。普通だ。普通。なんでなんでなんでなんで」

まさかの事態にいささかパニックになる男。
そう、昨日まであんなに心地の良かったソファーが、今はなぜかごく普通のソファーの座り心地になっていたのだった。

「ちょっと待ってくれよ。マジかよ」

容易に立ちあがることもできてしまった。
しばらく二人で考察して出た結論は、荒唐無稽なものだった。

「……だからさ……俺からお前にさ、ソファーの心地よさが移ったんじゃないか?」
「いや、待ってくれよ。そんなことあんのかよ」
「だってそうだろ。お前が心地よくなったら、俺はなんとも思わなくなってしまった」

あれから、同級生も何度か座ったが、確かに同級生にはとても座り心地が良く、元の持ち主の男(厳密には拾っただけだが)にはなにも感じられなくなった。
むしろ、最初に赤いソファーから座椅子に座ったときと似た感覚。心地よくない感覚。

「マジかよ~」
「いや、なんか申し訳ない」
「いやいや、こんなことなるとは思わないし」
「どうする……?」

二人で相談した結果、このソファーは同級生に譲ることにした。仕方がない。ソファーを心地いいと感じる者が、持っていたほうがいいに決まっているのだから。

幸い家も近所だったため、その同級生は一人でソファーを持ち帰った。「同じように、他の誰かに座らせてみれば?」と提案したが「しばらくは自分で楽しみたい」と、まるで新しいゲームを独り占めしたいかのような物言いだった。
特殊な性質をさしひいても、やはりこのソファーは魅力的なようだ。

次の日から、男の“第2のソファー探し”の日々が始まった。
気の毒なことに、あれから男はどの椅子に腰をかけてもなんだか居心地が悪く、これはまたあのソファーに勝るソファーを探さないといけないと心に決めた。

休みの日はショッピングモールに足を運びソファーを物色したり、雰囲気のいいゆったりとした椅子のあるカフェに行ってみたり、ネットで高評価のもののレビューを読み漁ったり。

だが、そう簡単にあれほどの座り心地のものに出会えるはずもなく。
釈然としない日々が続いた。

──そして、しばらく時がたったある日。

もうそこまでソファーや椅子に固執することをやめ、元の日常に戻った頃(そこまで非日常を送っていたわけではないが)ウォーキングにハマっていた男は夜道を歩いていた。

少し休憩、と薄暗い公園のベンチに腰を落としたそのとき、男に衝撃が走る。

「おいおい……なんだこのベンチは」

それは、“あの赤いソファー”に座ったときとほぼ同じ感覚。とにかく、とにかく心地がいい。座り心地がたまらない。
見た目にはごくごく普通の木目調のベンチ。とくに柔らかいとかでもないのに。材質の問題じゃなかったのか。まさか、まさかこんな公園で出会えるとは。

「やっと見つけた。前のほうがよかったな、じゃない座り心地のやつーーー!」

男は久しぶりの、以前のソファーに勝るとも劣らないベンチとの出会いに狂喜した。

「あーー……いいわぁ……」

男がまどろみながら、そのベンチを味わっていると、突如耳をつんざく悲鳴。

「キャーーーー!!だれか!だれかぁ……!」

目だけをその声の方向にやる。
暗くてよく見えないが、女が走って足をつまずかせたのか、倒れこんでいる。

そして、追いかけてきたであろう別の男が女に覆い被さり、ナイフのようなもので女をひと突き。また、ひと突き。
なんだこれは。
悪い夢か……?
なにが……起こっている。

状況が飲みこめず、男は立ちあがって逃げようとした。
だが、動かない。身体がベンチから離れることを拒否している。

「おい!おい!!おいおい嘘だろ……!こんなときまで!?動け……動けよふざけんなよ!」

そのナイフの男はゆっくりこちらに目を向け、近づいてくる。

「待て。待ってください。待って待って」
「……見た……よな?」
「見てない。なにも見てないです……!」

必死にあらがう男。

「なんだお前?なんでのんきに座ってやがる……?」
「いや違うんです。これは……立てないというか」
「まあいい。静かにさせるだけだ」
「待って、待って!あと5分くらい待っ……!」

ブスリ──

ベンチに座っている男に容赦なくナイフの先端が埋まっていく。

女同様。ひと突き。またひと突き。

最高の椅子と出会った直後に、最悪の通り魔に出会ってしまった男の悲運。

ナイフを突きさしながらその通り魔は、狂気の声をあげる。

「おいおい。やっとかよ。これだよ……!この刺し心地。めちゃくちゃいいじゃねえかこいつ。なかなかいなかったんだよ。探したぜぇ~。前より、刺し心地のいい獲物をよぉぉぉ!!」

『その赤いソファー』のお話は、ここで終了となった。

さて、多くの読者の方にとってはさぞ“前読んだお話よりも心地の悪いオチ”だったかもしれない。

それならば、ここからはまた“読み心地のいいお話”を探し続けてほしい。


【文章 完 文章】

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