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ショートショート58 『いつものナポリタン』

「ご注文はお決まりですか?」

「はい……えと、ナポリタンで食後に…」

「アイスコーヒーですね?」

「あ、はい。はは」

「ふふ。いつもありがとうございます」

よしよし。覚えてもらってる。
第一段階クリアだ。



僕は恋をしている。
半年ほど前、職場の最寄り駅近くで偶然見つけた喫茶店。
アンティークな店構えだが、決して敷居は高くはなく、客層は幅広く、今どき珍しいコーヒーお代わりし放題。
食事のメニューもランチの定食、パスタ、カレー、オムライス、サンドイッチと、シンプルだが万人の胃袋のニーズにとりあえず答えてくれそうなナイスメニュー。
場所がメインの大通りから一本外れているせいか、お昼時にもかかわらず混んでいる訳でもない。
が、もちろんガラガラということでもなく、いい感じの座席占有率がこの店の穴場感と信用度を表していた。

へえ、こんな喫茶店があったのか。美味しかったらまた来たいな。
などと思いながらメニューを眺め、店員さんに声をかける。

「すいません」

「はい」

「ええと、この定食っていうのは…」

「はい」

そこで初めてメニューから目を外し、店員さんに顔を向けた僕の口は、一旦注文を中断せざるをえなくなる。

“かわいい”

一目惚れとはまさにこのこと。ポニーテールがよく似合うその店員さんは、何の味気もない白いシャツが、清楚な顔立ちを逆に引き立てていた。

自分でもこの時、どれほど不自然な“間”をつくってしまったのかは覚えていない。
店員さんのほうから「…定食ですか?」と促され、初めて自分の時間が止まっていたことに気づく。とっさにそれをごまかすかのように吐いた言葉。

「あ…いやえっと…、オススメ…とかありますか?」

「そうですね……。んーー。個人的にはですが、ナポリタンがオススメです」

「じゃあそれでお願いします」

「ありがとうございます」

そう言うとニコッと白い歯を覗かせ、ポニーテールをなびかせながら振り返る後ろ姿。その姿を横目で見ながら、僕はもう、ナポリタンが美味しいか美味しくないかなど関係なく、またこの店に来ようと心に決めた。

それから僕は、週一、二のペースでその喫茶店に通った。
注文は決まっていつもナポリタン、で食後にアイスコーヒー。幸いに、と言うと語弊はあるがナポリタンは美味しかったし、あの店員さんが元々いなくても、おそらくそれなりの常連にはなっていただろう。だがここまで頻繁に通うことになるとは。

たまにその店員さんがいない時は肩を落としたがそれでも、僕はいつものナポリタンとアイスコーヒーのルーティンを曲げなかった。もちろんたまには違うメニューが食べたい、と思うこともあったが頑なにナポリタン以外を注文しなかったのは、印象をつけたかったからだ。お店にも店員さんにも。


“ナポリタンの常連さん”


そんなか細い印象でもいいから、とにかく覚えてほしかった。自分が取り立てることもない地味な人間だということも認識している。


その甲斐あってか、通いだして半年、その店員さんに覚えてもらい「今日は雨でいやですね」などという世間話?なんかもできる関係性になっていた。
よしよし!こんなに嬉しいことはない。
さあ。次は……

次は…どうしたらいいんだ?
しまった。考えてなかった。
とりあえず害のないナポリタンのお客さん、がゴールだった僕は、そこからの展望をしっかりと見据えてはいなかった。

ううむ。困ったぞ。普通ならこの先は何が自然なんだ。今のところナポリタンが好きすぎる常連、それ以上でもそれ以下でもない。

自分で言うのも悲しいが、僕は奥手だ。
積極的に女性を口説いた経験も無ければ知恵もない。かといってこのままずっとナポリタンを頼み続けていても何も始まらないことくらいは分かっている。

“連絡先を渡すしか…?”

考えただけで赤面する行為だ。いやしかし。
それくらいしか進展は望めない。
あるいは奇跡でも起これば。
どこか街で偶然会って、
あナポリタンの方、あ店員さん、今日はお休みですか、そうなんですよ良かったら晩ご飯でも、いいですね、ナポリタンでも、ほんと好きなんですね、ナポリタンよりあなたが好きです、私もです。
……なんだこれ。なんだよナポリタンよりあなたが好きですって。なんたるポンコツ台本。


そんなバカげた妄想をしながらコーヒーのお代わりを頼む。他の店員さんもいるが、できるだけそのお目当ての店員さんが近くを通ったときに手をあげる。
ただ、不自然にならないよう、五回に一回くらいは別の店員さんにも頼むようにしている。勝手になんの駆け引きをしてるんだ僕は、と我に帰ると情けなくなるが。
そして心の中でこう繰り返す。

自然に連絡先を渡す自然に連絡先を渡す自然に連絡先を渡す自然に……

取引先相手に名刺を渡す、くらいの感覚でいけばいいのか。いやいや、そんな単純なものではない。
それに万が一、怪訝な顔をされたら?
今の関係性も無くなる。いや大した関係性ではそもそも無いのだけれど。それでも僕からすれば素敵な時間なんだ。うーむ。参った。

何もできない日々が続いた。ダメだな僕はほんと。



進展があったのは喫茶店に通い出して八ヶ月も過ぎた頃。
まさかの出来事が起こった。
僕の職場に、あの店員さんが現れたのだ。

大学を出て、不動産屋で働きだして三年。
よもやこんなドラマチックな展開が待ち受けていようとは。

おそらく、というか十中八九、部屋を探しにきたのだろう。
受付から、店員さんの姿を認識した僕は、心が騒いだ。店員さんのほうも僕に気がつくと、一瞬驚いた表情をするも、すぐ笑顔で会釈をしてくれた。

この不動産屋から、喫茶店は歩いて五分ほどだ。たまたま来た不動産屋に、自分が働いている喫茶店の常連さんがいても、それは想定内となったのだろう。


「いらっしゃいませ」


いつも言われてるセリフをまさか、僕が店員さんに言うことになるとは。店員さんも驚いた面持ちで話す。

「すごい、偶然ですね。こちらでお勤めだったんですね」

「はい。こんなことあるんですね。ええと今日は…」

「はい。部屋を探したくて……その、二人で住める部屋を」

そう言うと店員さんの隣の男性が、僕に会釈をしてくれた。見るからに好青年だ。


彼氏だな。
どう見てもそうだよな。
心が、騒ぎっぱなしだ。しっかりしろ僕。
店員さんが、その彼氏とおぼしき男性に僕のことを説明している。

「あ、この方、いつも喫茶店に来てくれてる常連さんなの。ナポリタンがとてもお好きなのよ。ふふふ」

かわいいな。屈託のないその笑顔は、ずっと、隣の人のものだったのか。

「そうなんだね。あ、いつも、お世話になっています。今日はよろしくお願いします」

いいやつだ。
僕が彼の立場だったら、おいおい常連さんだあ?俺の彼女目当てじゃねえだろうな?感を出してしまうだろう。
彼からは、微塵もそんな雰囲気を感じさせない。
大人だ。大人のカップルだ。
そういえば店員さんもいつもより大人っぽい。
ポニーテールではなく、今日は髪をおろしているからか。初めて見たな。かわいいな。

………。

そうかーーーーー。

何も。


僕は何も、進んでなかったんだな。


第一段階とか、そんなの、何も。


人知れず失恋した僕は、この二人に最高の部屋を提供しようと、脳内を切り替える。
好きな人の幸せを願うのが本当の恋、なんてキレイ事を言うつもりはないが、僕に毎回変わらぬ笑顔でナポリタンを運んでくれた彼女には、幸せになってほしいと思った。それは嘘じゃあない。


部屋の希望を聞き、とりあえず物件をいくつか提供した後、また少し相談してから来ますと、二人は去っていった。
僕も、引き続きよろしくお願いいたしますと名刺を渡した。
連絡先、渡せたな。全く意図してない形で。





それから二年の月日が流れた。
僕はまた、今日も変わらず、喫茶店でナポリタンを注文している。

そこにはもう、あの店員さんの姿はない。

僕が喫茶店に訪れる頻度は少なくなっていたが、“ナポリタンの常連さん”を貫かせてもらっている。
あの一件があったからといって、僕が喫茶店に通わなくなる、というのはできなかった。
なんというか、そんなことをしてしまうと、僕の彼女への思いが、なんだか失礼なものになる気がしたからだ。


「ほんといつもナポリタンだね。飽きない?」

「まあ、飽きる飽きないの域はもうとっくの昔になくなったかな」

「なにそれ。ははは。今度は私がつくってあげるね」

「ほんとに?楽しみだなそれは」


向かいの席に座る彼女と、そんなやりとりをした。


「てか、弟がさ、東京にも慣れたからそろそろ一人暮らししたいって」

「そうなんだ。弟くん。遂におねーちゃん離れできたんだね。さみしくなるね?」

「いや私は早く出ていってほしかったよーー。あ、だからまたさ……部屋探してもらってもいいかな?今度は弟の」

「それは任せてよ。いいとこ見繕う」

「助かるよ。あ……そしたら次は私たちが、一緒に住むのもありだね」


彼女のその言葉に僕は、初めてナポリタンを喉につまらせた。


「ゴホッゴホッ…!え?え!?」

「なにもう~。そんないや?」

「いや…全然。全然いやじゃないけど!」

「まあ、すぐじゃなくてもね。いずれね」


今となっては、“あの二人”の関係性を知るよしはない。
二年前。あれからあの店員さんは喫茶店のバイトをいつのまにか辞め、僕の不動産屋にも来なかった。こっちから連絡してみようとも思ったが、できなかった。しょせんナポリタンの常連のいち不動産屋の男。なにを連絡できようか。

でも、もしかしたら。

今、目の前にいる僕の彼女のケースのように、ただの弟さんだった可能性もあったりしたのかな。
まあ、どっちでもいいか。
今となっては。

早速、夜、僕の家で彼女にナポリタンをつくってもらった。
お昼も食べたのにいいの?と笑われたが、全然良かった。いけるタイプなのだ。

そのナポリタンは、とても、美味しかった。
涙が出るくらい。

あの日、あの喫茶店で、あの店員さんに、あのナポリタンをすすめられなければ、このナポリタンを食べれなかったのかもしれない。

そんなことを考えながら、僕は彼女にこう言った。


「一緒に暮らそう。あと、コーヒー淹れてもらっていいかい?」





~文章 完 文章~

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