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ショートショート4『ジャージ』

『ジャージ』


男は着替えなければならなかった。


いつもジャージ姿の男。


見た目を気にしないタイプ、と言えば聞こえはいいが理由としてはいたってシンプル。

単純にジャージが楽だから。

寝る時はもちろん、遊びに行く時も、仕事の工場も、旅行でさえも、とにかく楽だからという理由でジャージを着続けた男。

なるほど確かに機能的だし毎日服を選ぶストレスからも解き放たれ、人体工学上でも精神衛生上でも理にはかなっている。


“なぜみんなジャージをあまり着ないのだろう。こんなに楽なのに。ジャージ以外を選ぶ意味が分からないよ”


日々脳内でこれらを人々に問いかけ続けるのが男の日課。
日々ジャージ推し。
基本は黒。
洗濯したときは、予備の赤、白、青。
このパターンを着回す人生。
ベストジャージスト。


しかし人は見た目が9割、なんて本が昔あったように実際問題ジャージ姿では都合が悪い時もある。

それが、自分の父親の葬儀の場ではなおさらだ。

しかしなぜだろう。男は一切、着替える気が起きなかった。


一人っ子の長男として生を授かり、幼い頃に母を亡くし、男手一つでここまで育てられるに至った。その父が前々からわずらっていた病で亡くなり、やらなければならない事は山ほどある。

友人、関係者への連絡は妻に任せ、葬儀会社への事務的対応、当面の金銭面の整理。
それらを何とかこなし、もう目前まで葬儀の時間が迫ってきている。


男は着替えなければならなかった。


もちろん、と言ってはいささか語弊があるが、知人や親戚の葬儀にも何度か参列した事はある。


つまり男は、喪服に着替えなければならなかった。



“なぜみんなジャージをあまり着ないのだろう。こんなに楽なのに。ジャージ以外を選ぶ意味が分からないよ。
なぜ父は逝ってしまったのだろう。
いやそれは人間である以上仕方のない事だ。
それよりも、なぜ涙が止まらないのだろう。
俺はこんなにも涙もろかったのか。
俺はこんなにも父を愛していたのか。
なぜ着替えなければいけないのだろう。
限界だよ。
喪服?靴下、ネクタイの色?意味が分からない。
バカみたいにシャツにアイロンをかけて、
バカみたいにネクタイをキツく締めて、
バカみたいに頭髪を整えて、
バカみたいに数珠を握りしめる。
なぜバカみたいにみんなそんな事ができるんだ。
それどころじゃないだろ。
それどころじゃないんだよ。
悲しいんだよ。
いやそれは仕方がない。
違うんだよ。
俺がジャージしか着てこなかったから面倒だとかじゃないんだ。
嫌なんだよ。
シャツのボタンやネクタイを締めている時間なんて必要ないんだ。
今は一瞬でも父以外の事を考えたくないんだ。
父以外を思う時間が、もったいないんだ”

こんな時でさえ日課から考えだした自分を恥ながら、しかし、ジャージの手首の部分が水分を含み重たくなる頃には、数珠はどこだったかな、と冷静さを取り戻していた。


遺言は無かった。
寝たきりだった父がこうなることはある程度覚悟していたことだし、自分に向けての最後の言葉なんてものは、この男には必要なかった。
ここまで涙を流させた父。
それだけで充分だった。

そして、慣れない喪服に着替え、葬儀の場に向かう道中で喪主という意識も芽生え、現場に辿り着くやいなや、男は驚愕する。

何と参列者全員が、ジャージ姿だったのだ。

別に黒のジャージばかり、という事でもない。

赤、白、青、まるで父兄参加の運動会だ。

状況が飲み込めない。

知らないうちに文化が変わっていたのか。

目を丸くしている男に、妻が優しく、静かな声で話かける。


「ごめんなさい、驚かせちゃったね。実は貴方のお父さんからね、言付けられてたの。
バカ息子がいつもジャージだから葬儀は息子の格好に合わせてくれって。
いつも通りの元気な息子に送られたいからって。
驚いた顔を天国で見たいから息子には黙っててくれって。」

「…はは。」

男は短く笑った後、さんざん流したはずの涙がまた溢れた。


そして、


男は着替えなければならなかった。





~文章 完 文章~

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