1939 Strange Fruits
奇妙な果実とビリ ホリデイについては音源・動画を含めネット上だけでも豊富過ぎる程の資料が溢れている。ルイス アレンとバニ ジョセフスンについては日本語版がないので別記事で。
黒人に対するリンチを撮影した写真を見てルイス アレンは奇妙な果実の初期版 苦い果実を作詩、1937年、ニューヨーク教職員組合の会報に発表。詩はルイス アレンが自ら改題・付曲して歌謡として完成、マディスン スクエア ガーデンで発表され、1939年には既にローカルな話題になっていた。この話題曲をグリニジ ヴィレジでナイトクラブ(カフェ ソサエティ)を経営するジョセフスンが演目として企画、ビリ ホリデイの演奏を通して全米規模、世界規模の話題作に拡大していった。
ところで、なぜ、ナイトクラブ。
禁酒法時代の米国ニューヨーク、ハーレム地区にコットン クラブというナイトクラブがあった(ウィキペディアに詳細な日本語版がある)。アイルランド系ギャングが既存施設の経営権を乗っ取り改名、新装開店したのが1923年。黒人のレヴューと最新流行だったジャズのライヴ演奏を看板に人気が高く、デューク エリントン楽団ほか優れた黒人演奏家を輩出した(時代なので来客は全て白人、スタッフ・演奏者は全て黒人。1940年に閉店)。ベッシ スミスやビリ ホリデイも出演した。
コットン クラブが低迷し始めた1930年代後半にギャングフリー、人種差別フリーで新規開店したのがジョセフスンのカフェ ソサエティ。1938年にグリニッジ ヴィレッジ店(カフェ ソサエティ ダウンタウン)、1940年に58番街店(カフェ ソサエティ アップタウン)が開店し、黒人音楽の最新動向と革新的な経営で人気を博した(1948年に閉店)。