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「最後の7日間」
月曜日。
練習が終わり、いつものように道場の掃除をしながら、意を決して伝えた。
「実は、今週で最後なんだ。」
仲の良かった練習パートナーの彼は、一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、笑いながら言った。
「何言ってんの、冗談だろ?」
「いや、マジで。急に転勤になったんだ。来週からは、転勤の準備で引き継ぎとかバタバタするから練習に来れなくなったわ。」
止めるのを忘れていた道場のスパーの終わりを告げるタイマーの音が鳴ったがその音はやけに遠く感じた。
「行くところって、柔術ができる環境じゃない場所なんだよね。」
そう言った瞬間、彼の顔に浮かんだ寂しそうな表情を、俺は直視できなかった。
火曜日。
「今日、スパーの後にオモプラッタ練習させてくれないか?」
道場に来ると彼も当然そこにいた。
「オモプラッタ?お前それ、得意だろ?いつも練習終わりに打ち込みしたよな。」
「うん。でも、もっとスムーズにできるようにしたいんだ。たぶん、もう試す場もないけど、得意技だったら忘れたくなくて。」
「……そうか。」
彼はそれ以上何も言わず、練習をしていた。
スパーが終わり、彼に協力してもらって何度も得意技の主プラッタを繰り返した。
柔術で身につけた技。この技で勝った思い出。そして、何よりも一緒に練習してきた彼の存在。
すべてが消えていくような気がして、忘れないようにと何度も打ち込みをした。打ち込みをしながら胸が締めつけられた。
水曜日。
「なあ、今日はどんな技練習する?」
彼が明るく話しかけてきたけど、俺は少し迷ってから答えた。
「技じゃなくて、ただスパーで何も考えずに動きたいんだ。自由に、思いつくままスパーをさせてくれないか?」
「おいおい、さすがにそれはズルいぞ。俺、ボロボロにされる未来しか見えない。」
「そんなことないよ。接待スパーはいらない。いつも通りにスパーをしてくれよ。」
何度も組んで、何度も崩されて、何度もガードに戻した。
いつもの練習をした。
この空間、この時間、この体のぶつかり合い――これが俺にとってどれだけ大切だったのか、その時改めて思い知った。
木曜日。
「今日はちょっと休んでいい?」
「え、どうした?疲れてるのか?」
「いや、ただ少し、ここでみんなの練習を眺めたくなっただけ。」
マットの隅のベンチに座りみんなのスパーを見る。
そのまま道場を見回した。
道場の蛍光灯の明かり、壁に貼られた大会の写真、試合で勝った時の団体優勝の盾やメダル。
何気ないこの空間が、急にかけがえのないものに見えてきた。
練習の合間に彼が隣に座り、ぽつりと聞いてきた。
「お前、向こうでも続けることできないのか?」
「わかんない。でも、少し遠くてもブラジリアン柔術ができる場所があるなら、俺は絶対にやるよ。」
その言葉に、どこか自分を無理に納得させようとする響きが混じっていたのは、自分でも気付いていた。
その日、友人に初めて噓をついた。
金曜日。
「今日はスパー参加しようかな?」
「もちろんだよ。でも、お前、もう怪我とかするなよな。転勤前に怪我はまずいだろ。」
「わかってるよ。」
一度練習中に指を骨折して職場で怒られたことを思い出した。
当時は辛かったけど今となってはいい思い出だな。怪我するくらい夢中に柔術をやっていたんだ。
いつもと同じスパー。いつもと同じ流れ。
でも、俺にとっては、これが最後になるかもしれない。
彼の動き一つ一つに集中し、全力で応じた。
いつも俺を攻撃して、崩してくる彼の技が、今日はなぜか温かいものに感じられた。
最後の一本が終わった後、彼が一言だけ言った。
「いいスパーだったな。お互い白帯の頃とは大違いだ。デラヒーバなんてカードをやっていなかったし。」
俺は何も言えず、ただ頷いた。
土曜日。
「今日は最後の特訓を頼む!」
「お前、最後だからって無茶するなよ。まあ、付き合うけどさ。」
最後の1時間は、二人だけの練習だった。
好きな技、苦手な技、そしてやりたかったすべてを試した。
彼はいつもと変わらず向き合ってくれた。
その姿が、俺の心をさらに締めつけた。
日曜日。
道場の掃除を終え、全員が帰った後、俺は最後に残った。
彼も残っていた。
思えば遅くまで二人で居残り練習をした後はいつも二人だけになっていた。
「今日で終わりか?」
「ああ。」
「たまには戻ってこいよ、続けてたら試合会場でも会えるしな。」
「ありがとう。……ありがとう。」
道場の空気が、俺の心に深く染み込んでいく。
最後に道場の匂いを感じながら、大きく息を吸い込んだ。
俺にとって、この道場が、柔術が、どれだけ大切だったのか――その重みを感じながら、俺は道場の扉を閉めた。
帰り道に思い返していた。
心残りはあるか?
久しぶりに毎日練習に来たな、、。
紫帯を目指してた時以来だよ。
そういえば二人で試合に来月出ようって言ってたな、、、。
もっとここで柔術を頑張れていたかも、、、。
もう遅いけど。
最後に、今これを読んでいる君にこんな話をさせてほしい。
柔術も人生も、いつか必ず区切りが来るんだ。
今している練習も試合に出るチャンスも、仲間と笑い合う時間も、永遠には続かない。
今日という日がいつもの日常に見えても、それが突然、終わる日が必ず来る。
だからこそ、今を大切にしてほしい。
道場で汗を流す時間も、大切な人たちとの何気ない会話も、二度と戻ってこない瞬間の連続なんだ。
「また次がある」と思って先送りにしてしまったことが、取り返しのつかない後悔に変わる日が、誰にでもやってくる。
失敗してもいい。遠回りしてもいい。でも「やらなかった」という後悔だけは、どうか残さないでほしい。
柔術でも、日々の暮らしでも、今この瞬間をしっかりと味わってほしいんだ。
君がこの記事を読み終える時、この言葉少しでも心に残ってくれたら嬉しい。
ここまで読んでくれてありがとう。
そして、どうか君のこれからの日々が輝きますように。
今を生きていこう
柔術をやっているときに感じる出来事を書いたり、いいなと思うテクニックを取り上げたりしてます。
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