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新幹線のリクライニングをめぐる攻防──いや、こんな“戦”はしたくないんだけど

 編集部に泊まって、現在発売中の『ボクシング・マガジン2月号』を校了し終えた先日。この日が記念すべき50回目の誕生日だったということもあり、「お疲れ!オレ!」という寂しい独り暮らし初老の、悲しい自分労いも相まって気が大きくなっていたのだろう。「今日は自分へのご褒美だ」とばかりに、調子に乗って、帰りは新幹線を利用しようと考えた。といっても、もちろん自由席だけれども。

 その日はたまたま土曜日だった。家族連れやらカップルが、東京駅構内、新幹線乗り場とわんさか。新型コロナウイルスがようやく落ち着いてきたかと思ったら、またオミクロン株という新手が蔓延し始めている。けれどもそれは、どこか他の惑星の出来事なのでは? と錯覚しそうなほど。「土日の連休は遠くへ行かなければならない」という法律でもあるんじゃないか? ってくらいの民族大移動状態。すっかり“コロナ以前”の「土曜日の東京駅」だ。もちろん、経済を動かさなければ国が回らない。自分だって、もっと余裕があれば仕事でもプライベートでも行きたいところはたくさんある。でも、「土曜日の東京駅」は、飛行機の次、いや超えるくらいに嫌い。この感情だけはどうしても抑えきれない。

「オレって人として認識されてないんじゃないか。何かただの物体にしか見えてないんじゃないか」って疑ってしまうほど、平然と真正面から突っ込んでくる人々を、ワシル・ロマチェンコ気分でスイスイとよけながら(あくまでも個人的感覚)、なんとか目的の新幹線までたどり着いた。

 いつものように、最後尾16号車に入り、2人掛け席を眺める。最前列に20代女性2人組、2列目に60代夫婦、3列目が空いていたのでそこへ。そして、パソコンもカメラもお泊り道具も悠々と入る“相棒”のリュックサックを足元に置いた。

 ボーっと車窓を眺める。「もっとこうできたんじゃないか、ああできたんじゃないか」と反省する貴重な呆然タイム。と、視界に人の動く気配を感じた。

「倒していいですか?」。最前列の若い女性2人が、後ろを振り返って夫妻に訊ねている。当然、「どうぞ」の返事があるものと自分も予測したのだが、「え」とか「あ」とか、この夫婦はつれない返事。どうやら事態を把握できていない様子で、女性2人もちょっと困った表情だったが、夫妻はようやく理解したようで、「ああ」と頷く。お嬢さんたち、ほんのわずかだけ、席をずらした程度の倒し方をした。

「なんだか感じの悪い夫婦だなぁ」と直感した。「もうちょっと言い方あんじゃん」って、関係のないこっちの気分が少し悪くなったが、ふたたび外を見て、反省会の続きを始めた。

 と、今度は壁が迫ってくるような、明らかな異変が目の中に飛び込んできた。前の夫婦が何も言わず、リクライニングを思いっきり倒してきたのだ。窓側に座っていた自分の前は妻のほう。その頭がオレの胸前にある。通りすがりの第三者が見たら、「彼女の耳掃除をしてあげようとしている優しい彼」に見えたはずだ。

 自分は腰痛持ちということもあって、昔からリクライニングを利用しない。席を倒すことに価値も抱いていない。座高は高いけれど、コンパクトな体に出来上がっているから。倒したら寝ちゃうし。寝過ごすのヤだし。倒してふんぞり返っているサラリーマンなぞを見ると、「カッコわるっ!」とか思っちゃう感覚の持ち主だし。だいたいが、そんなちっちゃい体なのに、そんなに伸ばすことないやん!って人に限って思いっきり倒してる。まるで「倒さなければもったいない。損!」みたいに。新幹線料金(リクライニング代込み)、みたいな感覚か。

 しかし、さすがに“コレ”から逃げるために、シートを倒そうかと思った。でもやらなかった。この“怒り”をそのまま感じておこうと思ったからだ。

「新幹線の席って、こんなところまで倒れるんだ」という驚きは、すでにもう何年も前から何度も経験している。どんなに最新車両になろうとも、ここだけは完全に設計ミス。ともにリクライニング利用を想定しているとしか思えない。片方が倒してないことを想定していない。してたらこんなに倒れるようにしない。リュックの頭は潰れてるし。「お荷物は足元か棚に」ってアナウンスがあるが、現場(車掌)と設計者の連携はまったく取れていない。幸い、潰れて困るような物は上の方に入ってないし、指示のあるなしにかかわらず、リュックを足元に置くのは自分の中の当たり前なので、これはしかたない。

 肝心なのは“ひと声”だ。女性2人が“スイッチ”になったのは間違いないが、彼女たちはきちんと礼をわきまえている。でも、この老夫婦は“後ろの人=オレ”への配慮を欠いた。まるでオレという人間が存在しないかのように。いや、存在するかどうかの確認すらしていない。当然、荷物を置いているなんて考えもしない。いくつものポイントで、「想像力が欠如」している。

 これも以前あった話。足元に置いたリュックから、ちょっと必要な物を取り出そうと屈んでいたら、前のシートが倒れてきた。挟まる形だ。痛くはないけど、整えたヘアースタイルは潰れた。前に座っていた若いあんちゃんは、つかえて倒れないシートを必死に倒そうとしてグイグイやってるから「おい!」って叱った。まあ、若気の至りと理解してあげたが。若くたって、この程度の想像力は普通働くんだけど、ね。だが、今回の夫婦は人生の年長者。こんなに長く生きてきてそれができないって……。「これまでどうやって生きてきたんだろう?」って思う人間にはたくさん遭遇してきたが、まさにそれだ。

「声をかけるのがめんどくさい」んだったら倒すな。それでも倒したいならちょっと確認しろ、だ。そういえば以前、「声をかけられるのがめんどくさい。勝手に倒してくれ」と発言した著名人がいた。おそらく彼は勝手に倒すんだろうし、倒しても倒されてもまったく気にならない、ひろ~いグリーン車に乗っているのだ。だから、庶民の感覚がわからないんだろう。それを知りたければ、われわれレベルの話に首を突っ込みたいのなら、1度エコノミーに乗ってみたらいい。

 旦那の方は、倒し過ぎたのが合わなかったのか、もしくは多少気になったのか(一瞬こっちを見たような素振りをした)、若干シートを戻した。しかし女の方は、な~んも気にせず、スマートフォンをいじってる。イライラは募る。でも、「シートをちょっと上げてもらえませんか」って頼むのは憚られた。まあ一応は彼女の“権利”だから。オレがカチンと来ているのは、「こっちを気にしない態度」にだから。

 臭いすら嗅げそうなくらい迫った頭。「オレは耳掃除もヒザ枕もしてやんないよ」って素知らぬ顔(誰へのアピールだ?)で、外を眺め続けていた。右ヒジを窓際に置いて“考える人”ポーズ。ウトウトとしていたらあっという間に小田原に着いた。

「あ、リュック取れねーじゃん」……ってのは、すでに想定していた。いったん立ち上がって、サイドにスルスルッと出て、通路側から引っ張り出すことも考えた。でも、そんなに気を遣ってやることあるか? ないよな。そんな気遣いしたって、この人たちはわからないんだから。だから、いちばんシンプルにいくことにした。普通に屈んでリュックを取ろうと。

 当然、オレのデカい頭がガーンとシートにぶつかる。なんとかリュックは取り出せた。チラと前を見る。びっくりして飛び起きて慌てふためいている女の姿が見えた。後ろに人がいるのに初めて気づいたような様子だった。

 どんな顔をしてるのか、降り際に見てみたかった。でも我慢した。切ないし悲しいし。あんな感じの人だから、隣の旦那に「後ろから蹴っ飛ばされた」くらい言っているかもしれない。でも、こっちももう50歳。そんなハシタナイことはしない。できればこれを読んでほしい。絶対に読まないだろうけど。

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本間 暁[闘路園TOUJIEN]
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