野球解説がボクシングに着地──その「ひと言」が想像をめぐらせる
※かつては必ずリングサイドにあった解説席。コロナ禍が続く今は、バルコニーに設置されることもある。写真はそこからの眺め
「ビジボ」で聞いた3つの問いかけがボクシングにつながる
先日、阪神タイガースとの3連戦(京セラドーム大阪)中、初戦、2戦目をテレビ観戦する機会があった。中継はGAORA。
どの局もホームチーム寄りになるのはしかたない(大きな声じゃ言えないが、発狂しそうになるくらい猛って観ていることもしばしば)と長年諦めていたが、副音声の『ビジボ』なるものがあることを初めて知った。ビジボ、つまりビジターボイス。スカパー!が長年行ってきた「ビジターファン向け実況解説」を、今季からこの名称にあらためたのだという。「こりゃよかやん!」と早速、音声切り替えボタンを押してみた。
解説は元ドラゴンズの捕手・武山真吾さん。何とその日が初解説だったそうで、最初こそ緊張感が漂っていたものの、昨季まで在籍していたからチーム事情に明るく、リアルなキャッチャー目線の言葉が届いた。「もっと出番があってもよかったよなー。こういう控え捕手、好きだったよなー」なんて、去年までのことなのに懐かしくなった。
翌2日目は武山さんに加え、“ジャイアン”山﨑武司さん。大先輩登場に、武山さんが心配だったが、山﨑さんの言いたい放題(これが本当におもしろかった)にも上手に対処していた。
そんな中、ひと際耳を惹いたのが次のやり取り。のんきに観戦していたのだが、居住まいを正した。
「武司さんにやられた」というのはおそらく山﨑さんのイーグルス時代、武山さんがプロ入り後4年いたベイスターズとの交流戦だろう。野村克也監督の薫陶を受けた山﨑さんが、配球を読んだに違いない。いやもしかしたら、まったくタイミングが合っていない“フリ”をして、その球を投げさせたのかもしれない。
ここで考えた。「ボクシングならどうだろう」と。野球は3ストライクまでの勝負だから“限り”がある。しかし、ボクシングの場合は違う。相手がタイミング、軌道を読めないパンチを見つけたら、いくらでも打ってよい。それをヒットさせるための“伏線”ももちろんあるが、投手&捕手vs.打者の“駆け引き”でも、伏線の張り方はある。が、上記は「それなし」の場合。
当然、相手のレベル、質にもよる。本当に全く反応できていない場合は、それを“柱”として組み立てていけばよい。何なら、それで試合を決めてしまってもいい。だが、山﨑さんと同じように、“敢えて”打たせていたとしたら……。それはものすごい“アリ地獄”だ。
また別の場面のこと。武山さんが語る。
つまり、「もう、この球しか来ない」と打者に球種、コースを絞られないように、その“前段階”に考えて配球しろということ。その“選択肢”が多ければ多いほど、当然ながら打者は迷う。少し言い方を変えれば、「複数の選択肢を用意しつつ、逆算して配球しろ」ということ。大投手・岩瀬仁紀はそうやって、捕手の成長を支えたとも言える。
これも、ボクシングに置き換えて考えた。投手&捕手vs.打者。両者とも、「次の球」を考えるのは、ボールを受けた捕手、あるいは「ボールチェンジ」を要求された球審が投手に投げ返し、投手が次の球を投げるまでの時間にして数秒だ。バッテリーはその間に打者に考えさせまいと、投手が投げるまでの時間を短縮しようとする。それがあまりに早い場合、打者はタイムをかけて打席を外すことができる。
だが、ボクシングではそうはいかない。目の前に向かい合った者同士が、0コンマ何秒というやり取りの中で、互いにその作業を延々と積み重ねていく。そしてそれらを瞬時に読みつつ、体で反応させている。イメージしただけでも、言葉にしてゆっくりと考えたとしても“常軌を逸した世界”が広がってくる。そしてなおかつ、投手対打者のように、相手に複数の「選択肢」を考えさせる攻防を見せつけるのだ。
山﨑さんの言葉からもうひとつ。ドラゴンズ初期の師、星野仙一監督と野村監督を例に挙げて。
両監督ともに、山﨑さんの年齢やキャリアに合わせての言葉だったのかもしれない。だから、一概にどちらがどうとも言えない。若い時分は、がむしゃらに没頭することも大事。年も経験も重ねたときに“野球だけ”しか見ないと、案外“答え”を見つけ出せなくなるもの──彼の性格を充分に理解した上での2人の言葉ということも考えられる。
これももちろんボクサーたちに置き換えて考えられるし、ボクサーだけじゃなく、われわれ全ての人が自分に当てはめて考えたいことだ。
自分自身について考えてみる。ファン時代から『ワールド・ボクシング』誌記者時代は、完全に「ボクシング馬鹿」だった。が、いろいろな職種を経験し、ふたたび関東に戻り、『ボクシング・マガジン』誌に拾ってもらってからは、「馬鹿」を捨てたつもり。
だが、こうやって、野球を楽しんでいるときでさえも、何気なくボクシングのことに結びつけてしまうのだから、完全に“捨て切れていない”のかもしれない。でも、無理矢理にこじつけようとしているのでなく、何となくふわりと着地してしまうのだから、これはこれでいいのかもしれないとも思う。
山﨑さん、武山さんは「こんな居酒屋トークみたいのでいいのかな」なんて言っていたが、ただのドラゴンズファンのボクシング記者にこれだけ考えさせたのだから、それだけでも充分すぎるのではないか。
解説者としての苦い過去
記者として考えさせられた久保さんの言葉
肝心のボクシング解説について、である。10年ほど前だったか、不肖私めもテレビ解説を務めたことがある。当時の編集長から引き継ぐ形で、CSスカイAで放送されていた後楽園ホールの試合を何度か。けれども、どうしても“感じたこと”を口に出してしまう性格(記者として書くことにも共通する)や、資料を作り込んで臨むなどの“準備”を怠るなど、専門誌記者の解説としては不適合だと感じ、自ら辞すことにした。やっぱり、記者目線で頭でいろいろ考えて、少し時間をかけて文字にするというスタイルが性に合ってるのだ。見たその場で瞬時にパッと口に出して表現することの難しさたるや……。元選手の解説者たちの反射神経には舌を巻くしかない。
後年、『BOXING RAISE』に声を掛けていただき、副音声ということ、一方的に「ウマが合う」と思っているJB SPORTSの山田武士トレーナーと一緒ということで、受けさせてもらったが、やっぱり思っていることをそのまま口に出してしまい、「判定がおかしい」だのなんだの騒いで、山田さんを巻き込んでしまった。もう2度とオファーはないだろう。
基本的に、見てきた試合はよほどのことがない限り、見直さない。かつてはビデオ録画して膨大な量を抱えていたが、小田原に戻ってからの、記者としての第2期途中から録画をやめた。だから普段、解説陣が話していることはほとんど知らない。いや、記者として感じたことを大切にしたいから、申し訳ないが彼らの言葉をむしろ聞かないようにしている。そこに引きずられて、知らぬ間にそれを「自分の見たこと感じたこと」と錯覚してしまうのが嫌だから。そのほうが失礼だと思うから。
とはいえ、東京以外の試合もネット配信で見られる時代となり、これは大変重宝している。「現場主義」の自分としては、お恥ずかしい話、金銭的なことがネックとなって、会場に足を運べず心苦しいばかりだが、今は我慢のときと歯を食いしばっている。そんな中、先日ABEMAで配信された神戸の解説を務めた久保隼さんの言葉が身に染みた。
彼は試合の度に、このフレーズを何度も繰り返した。『ボクシング・マガジン』誌で技術解説等をお願いしてきた亀海喜寛さんの「解なき最終解答」とも近い考え方である。
記者として、自分のあるべき姿をあらためて深く考えさせられる言葉だった。
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