【日記】贖罪/2022年11月30日(水)
デジタル時計の室温はなんと奇跡の20℃を表示している。他の人はどうか知らんが、この「19℃と20℃」、たった1℃の違いが、私の体感の“基準”となっており、今時期の部屋着スタイル──Tシャツにスウェット、さらに厚手のパーカー──から1枚脱いで、なおかつスウェットの腕を捲った。
ひと冬を半ズボンで過ごし通す子がどの小学校にも必ず数人はいたが、私にはそんな気概はなかった。が、隙あらば腕を捲るのは昔から。二の腕にだらんと生じる“感触”がなんとも鬱陶しい。顔を洗うときなどに、袖口の隙間からツーと流れ込んでしまった水(お湯)が、袖内に付着するのがどうにも気持ち悪い。露わにした腕でほんのわずかでも感じる空気の流れが心地よい。要するに半袖が好きなのだ。
腕捲りが快活さを呼ぶのか、読み始めた『テミスの剣』(中山七里)のページをスムーズに捲る。「奸智」「胡乱」「夾雑物」「怯懦」……。『ネタ帳』への書き込みも順調に増えていく。
『緊急取調室』のように、開かれた“密室”は平成以降なのだろうか。昭和のそれは、凄まじい暴力の巣窟だ。現在放映中の『エルピス─希望、あるいは災い─』同様、「冤罪」がテーマだが、証拠品の捏造など袴田巌さんの事件を参考にしたと思わせる描写も。ドラマ版で高橋克実が最近のイメージに反して熱演していたが、飛び込んでくる文字の強さに圧倒され続けた。
『ヒポクラテスの誓い』(WOWOW)、『連続殺人鬼カエル男』(カンテレ)、『セイレーンの懺悔』(WOWOW)、『夜がどれほど暗くても』(WOWOW)、映画『護られなかった者たちへ』。中山七里原作のドラマ、映画は好んで観てきたが、肝心の文字を読むのはこれが初めて。やはり映像には映像の、文字には文字にしか伝えられない良さがある。
娘のライブ配信10日目(トータル15日目)。来場者を一人ひとり拾い、時候に触れるなど、初々しさは残しながらもだいぶ馴染んできた。だから、敢えてコメントによる質問は控えめにした。
この日披露した曲は広瀬香美の『ロマンスの神様』とaikoの『カブトムシ』。前者はカラオケのキーが合っていず、苦戦しながらのものとなったが、躊躇したり止まったりすることなく歌いきった姿勢に感心した。自分だったら途中でやめていただろう。後者は初めて歌詞が入ってきた。こういう曲だったのね。知らなかった。
すっかり“七里モード”になってしまい、これも昔から観よう観ようと思っていて“そびれていた”『贖罪の奏鳴曲(ソナタ)』をWOWOWオンデマンドのマイリストからピックアップしイッキ観。「青山真治監督だなぁ」と感じ入る映像、音楽、その世界に没入してしまった。
中山七里は、別作に他の主人公を登場させることでも知られており、「刑事・渡瀬」が今作でも重要な役割を担っている。他作では上川隆也、鶴見辰吾が演じていたものをリリー・フランキーが引き取っているのだが、もちろんいつものリリーさん。この人の中身の底知れぬ奥深さ、多才ぶりにあらためて震わされた。ストーリーとはまったく関係なく、リンクもしていないのだが、若い時期(上川)に犯してしまったこと、その“贖罪”をも感じさせる深みがあった。
3月に57歳の若さで亡くなった青山監督。その喪失感に浸る。
自分の中ではとりわけ“北九州サーガ”3部作の存在が大きいのだが、同じくらい、小説家としての青山真治に惚れている。彼が遺した11作を、久しぶりに書棚から取り出してみようかな。