「俺が恥ずかしくないとでも思っているのか」 座右の銘をくれた先輩の話|ちゅん
社会人1年目の洗礼
もう20年近く前です。社会人1年目に、忘れられない出来事がありました。
それは、定例の企画会議が終わった後のこと。同じ部に配属された3人の同期とともに、「話がある」と10以上年の離れた先輩に呼び止められました。
会議室に残ると、他の部員たちが出て行ったのを確認して、先輩が口を開きました。「君たち、俺が恥ずかしくないとでも思ってるんじゃないか」
少し説明が必要でしょう。
私がいたのは新聞社で、そのなかでも「こんなものが売れている、こんなものがはやっている」といった消費ネタを扱う部署でした。企画会議というのは「日々起きるニュース以外に、こんなネタが面白いんじゃないか」という提案をする、いわゆるアイデア会議です。
その先輩は、会議のたびに面白い企画をバンバン出し、誰よりもヒット記事を多く書いているような人でした。それでいて同じくらい上の先輩に比べ圧倒的に物腰は柔らかで、普段はとても話しかけやすい雰囲気の方でした。
しかし、その時は様子が違いました。言葉遣いこそいつもと変わらず丁寧でしたが、怒気をはらんだ迫力があったのを覚えています。
「カッコいい提案をしようと思うな。生活していたら、興味をひかれたり、面白いと感じたり、身内ではやっていたりすることがあるだろう。頭の中をさらけ出せ」
その言葉に、ハッとしました。先輩は、当時大ブームだった秋葉原の「萌え文化」や、1990年代から隆盛を極めていた「女子高生ブームの変遷」など、いわゆるサブカルチャー的な分野の記事も多く書いていたのです。
「推し活」といった言葉が生まれるずっと前のこと。個人的な感覚ですが、サブカルチャーに傾倒する「オタク」への世間の視線は、今よりもずっと冷たいものだったように思います。
私はその時まで、その先輩は個人的な興味がある分野だから、喜んでそうした提案をしているのだと思っていました。その部分もないわけではなかったかもしれませんが、それでも先輩にとってそうした企画を提案することは「恥ずかしいこと」だったのです。
先輩は自身の「恥ずかしさ」を上回る職業意識でもって、世の中の流れを追っていたのでしょう。
「君たちの年で恥をかくことを怖がっていたら、この先なんにもできなくなるぞ」
この時から、私は「恥をかこうともしないことが、恥になる」ということを戒めとして仕事をしてきました。
転職で再燃した「恥を厭う気持ち」
そんな自分ですが、実は最近、以前に比べて恥をかくことに臆病になってきたなと感じています。それには少なからず、転職が影響しています。
同じ会社の中にいれば、自然と社内で必要とされる知識は蓄積されていきます。「分からない」と思うことでも、「あの人に聞けば分かる」といった感じで、困ることが減っていきます。
また、少しくらいの恥は気にならなくもなります。それまでに積み重なった実績があれば、少しくらい失敗しても、実績が盾となって自分の評価に影響しないと思えるからです。
つまり、自分は変わらず「恥をかくのを恐れないつもり」でいても、知らず知らずのうちに「恥をかくこと」自体が減っていたのです。
しかし知らない人ばかりの転職先ではそうはいきません。私の場合、まったく異なる業種で、しかも似たようなバックグラウンドの同僚がいない立場だったことも影響しました。
知らないカタカナ語やアルファベット3文字が飛び交う会議。それらを当たり前のように操る、一回り以上も若い同僚たち。リモート会議が増えたのをいいことに手元で用語を調べたり、自分が何を分かっていないかが分かるまで、要領を得ていないであろう質問を繰り返したり。
40歳になって急に「恥をかく」ことが増えました。
いざその場に直面してみると、そのことを自分が「嫌だな」と感じていることは認めざるを得ません。
汗と恥はかくもの
先輩の教えを、捨て去ったつもりはありません。
前職に勤めていた15年間、自分なりにアレンジを加え「汗と恥はかくもの」ということを、座右の銘の一つとしていました。その言葉は、ことあるごとに後輩に伝えてもいました。
しかし転職して分かったことは、口ではそんなことを言っている自分も、実際は知らない間に「恥をかくことに抵抗を感じる」ようになっていたという事実です。おそらく、もし転職せずにいたら気づかないままだったのではないでしょうか。
経験を積み、責任のある役職などに就けば、恥をかくことを避けなくてはならない場面もあるでしょう。しかし逆接的ですが、だからこそ余計に、いざという時に恥をかけるかどうかはとても難しく、それ以上に大事なことだと再認識しています。
転職の利点をことさら主張するつもりはありません。自分自身が体験したように、大変なことも多くつきまといます。しかし仕事をするうえでも、人として生きるうえでも、自分が「大事にしたい」と思っていた価値観に再会できるきっかけが転職でした。
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