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非営利組織の経営の本質③:「サードセクター」という発想の次に来るもの

今回はちょっと先走った、余談的な内容。しかもマニアックかもしれないですw

前回、社会的経済の話を書いたときに、資本の論理と人や社会の論理の話を書いた。で、非営利セクターがその矛盾をバランスしてくれるのではないか、というのが結論であった。

で、このとき、気になったのは、サードセクターという表現。

まあ、非営利セクターがサードセクターなのは、まぁ、いい。では、何がファーストで、何がセカンドなのか?

というわけで、ググってみたら、経済産業研究所の後 房雄さんによる
「日本におけるサードセクターの範囲と経営実態」という素晴らしい資料が出てきました。

引用してみます。

他方、いわゆる「大きな政府」の根本的な問い直し、ニュー・パブリック・マネジメン ト、公共サービス改革の動向のなかでも、公共サービスの担い手として、営利企業セクタ ーと並ぶもう一つのセクター(以下、サードセクター)の果たすべき役割が注目されつつ ある。

後 房雄「日本におけるサードセクターの範囲と経営実態」2011.3

なるほど。まずは政府がファースト、セカンドが営利企業セクター、という考え方なのね。これでいろいろ合点がいきますわな。

前回、政府と大企業の癒着について書いたけれども、これはここから来ているのだろう。つまり、政府ができないことをセカンドセクターである営利企業セクターに任せる、という前提が、どうも政府セクターにはあるようだ。で、それだけだとまずい状況が起こってきたので、サードセクターである非営利組織や市民組織、というロジックになっている。

で、ここまで考えていたら、大学時代に社会学で出て来て、個人的に好きだったある方を思い出した。

システム論の大家、タルコット・パーソンズである。

マニアックにならないために、Wikipediaから引用しましょう。

タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons、1902年12月13日 - 1979年5月8日)は、アメリカの社会学者。パターン変数、AGIL図式を提唱するなど、機能主義の代表的研究者と目された。ニクラス・ルーマン、ロバート・キング・マートンなどと並び、第二次世界大戦後、最もよく知られた社会学者の一人である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

で、この中でポイントは、AGIL図式である。

ということで、クリックしてみると、日本のWikipediaにはこの項目が無い!

なんということ!

仕方がないので、英語版から翻訳されたものを引用しようとしましたが、内容がマニアックすぎて、おそらくここで引用しても意味不明になってしまいそうなので、他からの引用としました。

AGIL図式(AGIL schema):・社会秩序はいかにして可能かという問題を、パーソンズはシステムの維持・存続可能性の問題と捉え直し、その「機能的要件」を四つにまとめて図に表したもの。AGILとはそれぞれ、社会システムの「適応」(Adaptation)、「目標達成」(Goal attainment)、「統合」(Integration)、「潜在的パターンの維持(および緊張の処理)」(Latent pattern maintenance)の頭文字である。そして、この枠組みのもと、典型的に適応(A)機能を担うのが経済、目標達成(G)機能を担うのが政治、統合(I)機能を担うのが社会共同体、潜在的機能の維持および緊張の処理(L)機能を担うのが文化だとした。AGIL図式は四機能パラダイムや四つの機能要件論ともいわれることがある。

創造法編集社【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか

これ、読んでわかりますかね?

過去の優れた理論の中には、科学的とか統計的には証明できないんだけど、言われたらそういうものかもしれないなぁ、という理論が意外にたくさんあって、意外に常識だと思われていたりします。

超有名な「メラビアンの法則」はいろいろ異論もあってごちゃごちゃしてますが、「マズローの欲求五段階説」、それから「ラーニングピラミッド」なども、実は別に科学的な根拠はなかったりします。単にうまいこと言ってるなー、というレベルの話。でも、有用性はあったりします。

このパーソンズの理論も、まあ、その類だと私は認識しているのですが、批判もありつつも納得感があり、割と社会システムの機能全体を考えるときに重要な視座を与えてくれるのではないか、と思っています。

めちゃめちゃ簡単に説明するために、上の説明をシンプルに整理しますと、

(G:目標達成機能) =政治
(A:適応機能) =経済
(I:統合機能) =社会
(L:潜在的機能の維持および緊張の処理) =文化

ということになります。厳密に言えば、これはシステム論なので、各機能の中でも4つに機能分化していき、最終的には個人も、というホロニックな構造をパーソンズは提唱していますが、今回はこのレベルだけでシンプルに考えていきます。

ちなみに、この政治、経済、社会、文化ってどっかで見たことある人も居るかもしれません。文化にスポーツを入れ、最後にテレビ・ラジオ欄を入れれば、そのまま、これは新聞の記事のカテゴリー分けですね。思わぬところで影響しています、タルコット・パーソンズ。

それはともかく、このシステム論を、さっきの説明にあてはめてみますと、下記のようになります。

政府(政治)ができないことをセカンドセクターである営利企業セクター(経済)に任せる、という前提が、どうも政府セクターにはあるようだ。で、それだけだとまずい状況が起こってきたので、サードセクターである非営利組織や市民組織(社会)、というロジックになっている。

あれ? なんか足りなくない?

ソーシャルセクターの人々と話をしていると、人々の意識をいかに変えるか、というのが難しいという話が良く出てくるような気がしています。タルコット・パーソンズによれば、社会の機能は「統合機能」なので、そりゃ変化とか調整は難しいんじゃないの、という気がしてきます。

もう一回、整理します。

(G:目標達成機能) =政治→政府:ファーストセクター
(A:適応機能) =経済→営利企業セクター:セカンドセクタ―
(I:統合機能) =社会→ソーシャルセクター:サードセクター
(L:潜在的機能の維持および緊張の処理) =文化→?:?

もしかして、足りていないのは、文化にフォースセクターとしての機能を認めることなんではない?

一応、ググってみましたが、フォースセクターという言葉は今のところ出て来てこないので、こういうことを言っている人は居ないのかしら?

例えば、日本政府が旗振りしたクール・ジャパン。めちゃめちゃすごいお金をかけて、ひどい失敗だったことは報道されているのかわかりませんが、これも営利企業セクターに仕事としてやらせたことに問題があったのかもしれません。

(L:潜在的機能の維持および緊張の処理) =文化セクター

と認めて、では、どういう文化が社会の安定的発展につながり、どういう文化がつながらないのか、そこをきちんと見極める必要があるんじゃないでしょうか?

折しも、営利企業が金儲けのために映画を作っている構造が暴露され、その責めを文化セクターの人に押し付けようという報道がなされていますが、なんで日本のテレビ局とか広告代理店の人は、原作者や作品をリスペクトしないのか、ということは、もしかしたら、こういう文化に対する特別な機能を担っている、という認識が甘いんじゃないかな、という気がします。

ヨーロッパにしろ、アメリカにしろ、文化というものの独立性をとても大事にしているように思います。アカデミー賞も日本では元文化庁長官を持ってきて映画配給会社の社長が作ったビジネス要素満載の団体によるものですが、アメリカの場合、あれはなんで「アカデミー」かというと、映画製作者による学術的意図があっての団体が表彰しているのです。こういうところも、文化の機能が営利企業セクターに侵食されている日本ならでは、かもしれませんね。

話がずれましたが、文化というフォースセクターの機能をもっと理解し、活躍してもらうことで、日本もより良くシステムがまわる社会になるんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか? フォースとともにあらんことを。

現場からは以上です。

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