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日本式経営腐敗論①:日本企業のマネジメントはどこからおかしくなっていったか?~ドラッカーの投稿論文から(1971年,1981年)

失われた何十年とかいう話もなんとなく昭和とともにノスタルジーとともに語られそうな時代になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?

今の日本経済の没落を、人口論のせいにしたり、政治のせいにしたり、いろいろな見方はありますし、それらを否定するものではないのですが、事実として、日本の今の企業のマネジメントはどこかおかしくなっている気がします。

特におかしいな、と感じるのはメーカーでしょうか。様々なメーカーで不祥事が起きています。それが一社ならまだしも、複数業界、多くの会社で起こっている。何かが起こっているのだけれども、何が起こっているのかわからない。そういう時代になっているかと思います。

この記事は、連載記事にしていって、いろいろ私が調べていったものをまとめておこうという意図のもとに執筆しますが、なるべく思い込みや陰謀論ではなく、エビデンスを示しながら整理していこうと思っています。

今回はプロローグ的な内容になりまして、Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」より、1971年マッキンゼー賞受賞論文「日本の経営から学ぶもの」、1981年マッキンゼー賞受賞論文「日本の成功の背後にあるもの」を紹介したいと思っています。そこで「日本式経営で優れている」とされているものをチェックリスト化してみて、現在の日本企業に問うてみたいな、と思っています。

まずは、1971年マッキンゼー賞受賞論文「日本の経営から学ぶもの」を読んでいきましょう。

まずは、意思決定の方法の違いについて、です。

日本に関する権威者のすべてが同意する点が一つあるとすれば、それは日本の団体が、企業であれ、政府機関であれ、「総意」(コンセンサス)によって意思決定を行うということである。日本人は、意見の一致を見るまで、組織を通じて一つの提案を討議すると言われる。そして合意に達した時にのみ意思決定を行う。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.77

日本では欧米に比べ、決定に到達するのに多くの時間を要する。しかし、ひとたび決定がなされると、日本のほうがうまく物事が運ぶ。欧米では、一つの決定を下した後で、それを「売り込む」のに多くの時間を費やし、またその決定に基づいて人々に行動を起こさせるのに多くの時間をかけねばならない。これとは対照的に、日本人は決定を「売り込む」ために時間をかける必要は絶対にない。すべての人が事前に説明されているからだ。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.77-78

1970年代といえば、携帯電話もネットも無い時代です。パソコンももちろんありません。ドラッカーはまた、日本人は、重要な問題以外のささいなことについては決定しない、とも言っています。つまりは現場のことは個人個人に任せるわけですが、それを支えているのが、雇用保障と人材育成だと言っています。

ドラッカーは日本の終身雇用制度について、当の日本人すら理解していない、と述べて、これが「仕事と所得に対する保障」と「柔軟で適応性ある労働人口と労働コスト」の二つの矛盾したニーズを満たす、欧米よりも優れた方法だと言っています。

重要なことかと思うので、引用しておきます。

現実に大半の日本企業、特に大企業は、景気が下降すれば、大半の欧米企業がなしうる以上に大幅な労働者の一時解雇を行うことが可能であり、現に実行している。しかも、最も収入を必要とする従業員を全面的に保護するやり方で、一時解雇を行う。ちまり、雇用調整の重荷を引き受けるのは、生活に余裕がある人や他の所得に依存している人なのだ。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.78

要するに偉い人、稼いでいる人が賃金をカットし、生活が懸かっている従業員を守っていたよ、と。今の日本企業で、こういう制度を持っている会社がどのくらいあるんでしょうかね。

ドラッカーはもうひとつ、日本式訓練というものが、日本の会社の強さを生んでいると考えていたようです。こちらも引用します。

日本では、技術と工程が次々に変わることを従業員が喜んで受け入れ、生産性向上がすべての人々にとって善だと見なされている。(中略)はるかに重要なのは、日本の労働者が、欧米で広く波及している「変化への抵抗」をほとんど示さないという事実である。(中略)その秘密は、日本人が「継続的訓練」と呼んでいるものに由来するかもしれない。それは第一に、あらゆる従業員が退職に至るまで、正規の仕事の一部として訓練を受け続けるということである。(中略)第二に、日本の従業員は、階層が高くても低くてもすべての階層において、自分の仕事だけではなく、自分の仕事と同レベルのすべての仕事についても、訓練を受けている。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.79

ドラッカーは日本企業や日本政府が高度な訓練を受けたスペシャリストに対する根深い抵抗感があることを最大の弱点としながらも、

日本における「継続的訓練」は、アメリカ企業を悩ませている極端な専門化とセクショナリズムを防止するのに大いに役立つ

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.80

としていて、どっちやねん、という感じではあるのですが、日本における終身雇用の制度が、部下や若者を育てるという意欲につながり、また、学び続けようという意欲につながり、それが日本の経営から欧米が学ぶべきもの、としているのです。

さて、それから10年後の論文ではいかがでしょうか? 1981年マッキンゼー賞受賞論文「日本の成功の背後にあるもの」で、1971年頃から日本に注目していたドラッカーの目が正しかった、ということになるのでしょうか。

こちらは打って変わって、日本の指導者層、リーダー層の振る舞いについての論文となっています。いくつか引用してみます。

さまざまな政策の選択肢が、世界経済における日本の競争力にどのような影響を与えるかを見積もることは、日本の指導者に期待される政治的慣行の一つにすぎない。指導者はまた、「国のためによいことは何か」と問うところから始めるものとされる。「我々のため、我々の組織、我々の仲間、我々の選挙区民のためによいこととは何か」を問うのではない。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.90

最後の部分、今の日本の〇〇〇〇の小さなリーダ―達に何かをつきつけたくなりますが、それがこの文章の本意ではないので止めときますw

日本でも、新たな提案がなされるとたいてい、どの利益集団でも反対者は出てくる。だが、こうした個々のメンバーの利害関係は、国益が十分に考慮されるまでは棚上げされる。欧米流の「まず自己利益ありき」のやり方がそれなりにうまく機能したのは、(中略)彼らの相反する要求をバランスさせることで国家の政策が効果的に決定できた時代までである。(中略)おそらく、国の指導者たちと利益集団の双方が、国益の番人をもって任ずることで自分たちの正当性を主張する日本モデルのほうが、現代産業社会につきものの多元主義にうまく対応できるのではなかろうか。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.90-91

日本企業のリーダーは、社会の他の主要集団の考え方、行動、前提、期待そして価値観を理解する義務を負う。(中略)と同時に彼らは、自身の考え方、行動、前提、期待そして価値観を知らしめ、理解せしめる義務も同様に負うと考える。これを実現するのに必要なのは、(中略)プライベートな関係づくりである。(中略)トップたちは、自分の時間を会合に費やす。(中略)彼らはまた、仕事帰りに銀座のバーで銀行関係者、さまざまな省庁の高級官僚、自社の社員と会する。片手では数え切れないほどの経済連合会や業界連合会の、これまた片手では数え切れないほどの委員会に出席する。(中略)言うまでもなく、彼らの目的は何かを解決することではなく、相互理解を確立することにある。相互理解があれば、問題が生じた時にどこに行けばよいかがわかる。他者や自分の組織が何を期待しているか、自分にできることやこれからしたいこと、自分にできないことやしたくないことがわかる。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.91-92

この部分、面白いですね。カットした部分でも、

日本の大企業のCEOには、自社の「経営」に使える時間をわずかでも持つ者はほとんどいない。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.91

「経営」はしない。それは、下の者に任される。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.91

とあったりして、ドラッカーの視点がさすがだな、と思います。ただし、この部分は、行動レベルでは、今の人の価値観には合わないことを言っているような気もしますね。会社が大変なんだから、飲み歩いている暇があったら会社のマネジメントをしろよ、と社員にも文春にも叩かれそうです。

最後の方で、トヨタのエンジニアの言葉が引用されています。

日本の労働組合は、経営陣を相手に戦うが、アメリカの労働組合は会社自体を相手に戦う。どんなことであろうと、会社の従業員の利益になるには、まず会社にとって利益になる必要があることをがどうしてわからないのだろうか。日本人には自明のことだが、これが当たり前と思われていない国では、日本人は経営者にはなれない。それだけではなく、従業員や部下にもなれない。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.92

経営者であっても、従業員であっても、そして労働組合であっても、業界団体も政治家も、己の利益だけのために戦おうとしない。それが日本人の成功の要因だと、ドラッカーは希望も含めて見ているようです。この論文は、最後にこのようなドラッカーの言葉で締めくくられます。

(日本人は)また、これからも共存し協力しなければならない個人やグループに対して、最終的な勝利を収めないよう、大いに気を配る。そのような戦いに勝ってしまうと平和が失われてしまうことを、日本人は心得ているのである。

Harvard Business Review 2010年6月号「P.F.ドラッカーHBR全論文」P.92

さて、ここまで読んできて、いかがでしょうか? ドラッカーが日本企業の良さとして語っているもののほとんどが、現在は失われていたり、あるいはどちらかというと良くないもののように語られている気がします。

行動や現象を真似ればいい、という訳ではありません。例えば、「全員一致の合議」というのは、欧米ではワークショップのような形で導入されています。

以前に、面白い話を聴いたことがあります。「デザイン思考」学ぶセッションが海外であり、それに参加した日本人研究者の方が、「このデザイン思考は、日本人が普通にやっているKJ法などの議論しないで建設的に話し合いができているのを、欧米人ができるようにと開発されたものだ。なのに、なぜ、それを日本人が学びに来ているんだ?」と、言われたとか。

着目したいのは、こうしたドラッカーが日本企業に着目し、その成功要因を書いた文書がアメリカでマッキンゼー賞を取り、多くの方が読んでいた、という事実です。具体的な国を出すところに他意はないですが、タイの成長に学べ、インドの成長に学べ、とかいうことは、日本では、なかなかありそうにもないかな、と思います。

こうして見てくると、やはり、キーワードは「学び」かもしれません。

日本式経営の良いところを取り入れようとして研究、実践してきた欧米があり、日本式経営の良くないところを排除してきた日本人がいて、今の経営の結果、つまり、成果の差は、そこから生まれてきているのかもしれません。

現場からは以上です。

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