そこに愛はあるのかい?
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。
御覧いただき、ありがとうございます。
年末年始で様々な事件などを見ていまして、今年のテーマはこれだなーと思いましたので、1月も半分過ぎようとしていますが、投稿しておきます。
政治にまつわるトラブル、芸能界の事件、陰惨な社会事件などを見ていまして、なんだか正しそうな意見を言っている方にも感じていた違和感がありました。それをなんとか言語化できないかな、と思っていました。
そこで感じた違和感の正体。それが、
そこに愛はあるのかい?
でした。
政治家の方の不倫騒動。その謝罪も報道も。
芸能人の方が絡むスキャンダル。その加害者も報道も。
その他、様々な人の発言を動画などで見ていて、圧倒的に足りていないもの。
それが愛
なのではないかと思ったのです。
この愛の無さ、というのは2つの観点があります。
ひとつは、愛を感じない、というもの。人の言動について、他者に対する愛情といいますか、大事にしようとか、尊重しようとかいう愛を感じない、というものです。
もうひとつは、愛というテーマが語られていない、というものです。何かをやった。悪かった。許す、許さない。その上っ面のうっすらとした次元だけで物事が判断され、語られ、そこにどのくらい愛があったのか、それともなかったのか、そこがまったく語られない。愛について何も語られないままに、何かがジャッジされている。
そんなことに違和感を覚えたのです。
今の時代、政治家や経営者など、エリートとされるような人や、テレビで人気とされるような人の言動を見ていても、そこに愛を感じるような人がほんとにいないな、と思います。この愛と言っているのはもちろん人や人類、引いては世界や自然界や宇宙に対する愛のことを言っていて、お金や権力、利権に対する愛のことではありません。
そんなことを思い至ったのは、たまたまYouTubeで知った、タレントの福留光帆さんの動画を見ていたからでした。
福留光帆さんは現在21歳。元AKBで卒業後、実家の尼崎でニートのような生活をしてたり、ケータイ修理屋さんでバイトしていたそうなのですが、その後、舞台の仕事がきっかけで上京、事務所を変わった契機に出演したYouTubeの番組でブレイクし、ラジオの冠番組他、バラエティ番組などに出演されているようです。
ブレイクのきっかけなどはこの動画で紹介されています。
年末にはインフルエンザにかかって仕事を休んだことがニュースになっていました。
で、年始にこの方を発見して、いろいろ見ていて、とても不思議だな、と思ったのです。この方の魅力の本質ってなんなんだろう?
御本人もおっしゃっているので、書いてしまってもよいと思いますが、別に歌がうまいわけでも、踊りが上手なわけでもない。
とっても美人と言うわけでも、めちゃくちゃかわいいというわけでもない。(一応、お断りしておきますが、外見が個人的に好きなタイプ、というわけでもありません。)
一応、ネガティブなポイントについて、御本人がおっしゃっている動画も載せときます。
いろいろ動画を見ていて思ったことは、おそらくまだ御本人も気づいていないとは思うのですが、この人の行動原理って「愛」なんだな、ということです。
基本的なところで言うと、地元尼崎をとても愛していますし、家族をめちゃめちゃ愛しています。その家族も彼女のことを愛していることが伝わってきます。
しかし、その家族の愛というのがどのように伝えられているかというと、母親から叱られている話、お姉さんからダメ出しされている話など、どちらかというとディスられている話に表れています。
家族ではお母さんのボケた行動に家族全員が突っ込む、みたいな話も語られています。言葉だけを見ていたら厳しい環境のようにも見えますが、その根底には仲の良い家族の愛の深さを感じてしまいます。
さらに彼女はおじいちゃんに連れられて行って、お父さんに教えられたボートレースをこよなく愛していて、推しの選手も居ます。そこに対する愛の表現も半端ないです。
こういう環境で育ったせいか、彼女の言葉はかなり強くてえげつないものがあり、企画で芸人さんに絡むと、芸人さんが悲鳴を上げるようなディスリもできます。しかし、そのディスった芸人さんとも仲良くなってしまうという不思議な魅力を持っているようです。
心理学のひとつの流派(?)に交流分析という考え方があり、この交流分析の考え方に、ストローク、という考え方があります。人の言葉は表面的に伝えられている言葉の表現のレベル以外に、気持ちや思いなどの表面に出ない部分があって、それも伝わっている、という考え方です。この考え方は現代のSNSなどで切り取られて炎上するという様々な事件を見ていて、もっと知られるべき考え方ではないかな、と思っています。
一応、参考図書も載せときます。
福留光帆さんのディスり芸は、言葉ではかなり辛辣なことを言っているのですが、なぜかその裏に相手に対するリスペクトのようなものを感じさせ、そのギャップが面白さを産んでいるような気がします。
相手のことを尊重しながらディスる。これは言ってみれば昭和の漫才に通じるところがあり、彼女がご自身でも言っているように昭和の漫才のテイストが好きなようで、だから自然にこういうコミュニケーションができるのではないか、と思います。
彼女は自分の周りの人はみんないい人、と言います。そりゃ、そういう接し方をしていれば、みんないい人になるでしょうよ、と思いますし、これからの時代、根底に愛があるかどうかで、もっと人を判断した方がいいな、と思ったときに、一つの象徴となる存在だな、と思ったのです。
繰り返しますが、今の時代、政治家や経営者など、エリートとされるような人や、テレビで人気とされるような人の言動を見ていても、そこに愛を感じるような人がほんとにいないな、と思います。そんな時代だからこそ、ただ、自分の中にあふれる愛について表現しているこういう人が、なにやら輝いて見えるのかな、と思ったのでした。
さて、今回はイントロダクションです。愛について語ろうとすると、様々な話題が絡めとられてきます。特に「愛」に「情」や「性」などの文字がくっついて、「愛情」「性愛」になると、かなりややこしい話になって整理してから語らないと、あらぬ誤解を振りまいてしまう可能性もあります。
愛が失われたこの世界は、まさに世紀末の荒廃した世界そのものです。そこに降り立ち、そのリスクを背負ってでも、今回はこの宣言だけは、しておかなければならないと思って記事に書いてみました。
愛をとりもどせ! You’re Shock !!
反響次第、自分の思考の展開次第では、続きを書いていきたいと思っています。
現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。
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