ドラッカー『非営利組織の経営』第V部「自己開発」を読み説く
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒すために」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。
御覧いただき、ありがとうございます。
今回は不定期連載しておりますドラッカー『非営利組織の経営』の読み解き、第V部です。
前回の記事はこちら
第V部、日本語のタイトルは「自己開発」のみですが、英語ですと、Developing Yourself のタイトルの後に副題に、as a person, as an executive, as a leader とついています。直訳すると、人として、エグゼクティブとして、リーダーとして、となっています。
この第V部の全体を見てみましょう。
第1章 自らの成長
第2章 何によって憶えられたいか
第3章 第二の人生としての非営利組織|ロバート・バフォードとの対話
第4章 非営利組織における女性の活躍|ロクサンヌ・スピッツァーレーマンとの対話
第5章 自らを成長させるということ|まとめとしてのアクション・ポイント
では、一章ずつ見ていきます。
第1章 自らの成長
英語版のこの章題は、You Are Responsible となっています。これをこのまま日本語に訳してしまいますと、「あなたには責任がある」となってしまい、重い感じがしますが、これはそういう意味ではなく、「あなた次第で結果が変わります」というくらいの意味です。
この章の見出しは日本語版も英語版も2つなのですが、その場所も意味もかなり違います。興味深いです。
日本語版は、「責任ある仕事」「成果をもたらすもの」となっています。
英語版は、「TO MAKE A DIFFERENCE(違いを生み出すために)」「SETTING AN EXAMPLE(模範を示す)」となっています。まったく違いますね。
ポイントとなる部分を引用しましょう。
自らを成果をあげる存在にできるのは、自らだけである。
成功する人たちは、自らが行ったこと、そのうちの意義の大きなもの、さらに力を入れるべきものについて年に一、二度反省している。
人は、強みへの集中によってのみ自らの成長を図ることができる。
成功に必要なものは責任である。あらゆるものがそこから始まる。大切なのは肩書ではなく責任である。責任をもつということは、仕事にふさわしく成長したいといえるところまで真剣に仕事に取り組むことである。
自己開発とは、スキルを修得するだけでなく、人間として大きくなることである。
リーダーをリーダーたらしめるものは肩書ではない。範となることによってである。そして最高の範となることが、ミッションの貢献を通じて自らを大きな存在にし、自らを尊敬できる存在にすることである。
第2章 何によって憶えられたいか
「何によって憶えられたいか」の問いは、実はこの本の第III部で成果について書かれているところに出てくるのですが、詳しい説明はされていません。そしてこの最後の部でその正体が明かされるのです。(こういうところ、ドラッカーの本は推理小説だなーといつも思って読んでいます。)
少し長いですが、引用しておきます。
そして、この問いに答えていくためにも、自分にふさわしい場所を探す必要がある、と語っています。
ここで語られていることのそれぞれは、理解できる話かと思いますが、疑問が湧いてくるのは、なぜ、『非営利組織の経営』の最後の部で、こういった個人のキャリアについての話が語られるのか、ということです。
すぐにはわからないので、この疑問を胸に抱いたまま、読み進めていくこととします。
第3章 第二の人生としての非営利組織|ロバート・バフォードとの対話
表題のとおりのインタビューです。彼は、キャリアを変えることを、季節の変化のようなもの、と表現しています。
第4章 非営利組織における女性の活躍|ロクサンヌ・スピッツァーレーマンとの対話
こちらも表題の通りのインタビューですが、ドラッカーの結論部分は意外な感じでまとめられています。引用しておきます。
この後の章では「貢献」について語られますが、これはリーダーの貢献の話としても読むことができるかと思います。
第5章 自らを成長させるということ|まとめとしてのアクション・ポイント
この章では、成長について2つの観点があることが語られます。それは、「①人としての成長」と、「②貢献のための能力の成長」です。
簡単にまとめると、下記のようになります。
①人としての成長
自分の存在以外のものに仕えることによって始まる。
「何によって憶えられたいか」の問いから始まる。
答えは成長の度合いによって変わっていく。
この問いを問わなければ、人は焦点をなくし方向を失い成長を止める。
②貢献のための能力の成長
自らの強みを伸ばし、スキルを加え、仕事に使うこと。
上司の果たす役割が大きいが、自らの能力の向上は自らの責任
外の世界のニーズと機会に自らの能力と強みをマッチさせるとき
成果が得られる
改善とイノベーションが必要
これを見ると、先の質問、「何によって憶えられたいか」は、「人としての成長」についての話をしていたのだ、ということがわかります。
そしてこの章は、最後に下記のような文章で終わります。
いかにも唐突な気もしますが、実はこれ、第一部の最後の文章を思い出していただければ、そこにつながっていることに気づきます。
「何をやめますか」は廃棄に関する問いです。これに応えるためには、自分のミッションを明らかにする必要があります。そして言うまでもなく、「何をしますか」はリーダーシップ、すなわち主体的行動に関する問いです。これもミッションを意識させる問いになっています。
第一部でドラッカーは、非営利組織に関わるものは皆、社会的リーダーである、と言っていました。そして、うまれつきのリーダーはほとんどおらず、むしろ、リーダーは仕事によって作られる、という話をしていました。
第二部、第三部、第四部はどちらかというと組織側の話をしていました。非営利組織を実際にマネジメントする人にとっては、こんなことまでしなければならないのか、という話のオンパレードでしたが、逆に、非営利組織に関心はあるけど、実際にマネジメントしているわけではない人は、非営利組織の理想的なマネジメントの姿を見て、魅力的に思ったり、あるいは大変そうだな、と思ったりしたことでしょう。
それが第V部にきて、両者が結合します。「何によって憶えられたいか」は、非営利組織を実際にマネジメントする人にとっても、非営利組織に関心はあるけど、実際にマネジメントしているわけではない人にとっても、共通に問いかけられている問いです。
ここでもう一度、第I部冒頭の文章を読み直してみましょう。
最初に読んだときには、この変える人というのは、ドラッカーの言う救済サービスの受け手、というイメージだったのではないでしょうか? しかし、ここまで読んでくると、非営利組織に関わりを持つすべての人に変わるきっかけがある、ということを言っていることがわかります。
その種は、第I部の最後に蒔かれていました。
そして第IV部には、こういう表現もありました。
もし、今、あなたが非営利組織に何の関わりを持っていなかったとして、もし、あなたが「何によって憶えられたいか」という問いに対する、正解ではないかもしれない、何らかの答えを持ったとして、あなたは何か共感するミッションなりを持った非営利組織に、何らかの関わりを持ってはいかがだろうか?
ドラッカーのそんな声が聞こえてきそうです。
そして、ここまでこの本を読んで、非営利組織の経営とは何か、何が大事なのか、ということを理解した上で、寄付者でもいい、ボランティアでもいい、もちろん、スタッフとして働くのも、リーダーとして新しい団体を立ち上げてもいい、非営利組織に何らかの関わりを持つことは、このセクターに貴重な人材を招き入れた、ということになるのかと思います。
そして、そこにこそ、あなたの成長の可能性があるのかもしれません。
現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。
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