宇宙を目指し、医学部に迷い込んだ先に見た景色。 | #1
このnoteは、宇宙飛行士を目指し医学部に入学した筆者が、「宇宙医学」という分野に目覚めて学生コミュニティを創設するまでの記録です。
「宇宙医学とは何か」という話については、是非こちらをご覧ください。
気づけば夢はそこに。
「医学部です。宇宙好きです」と自己紹介すると「え、なんで医学部に?」と100%聞かれる。このnoteのタイトルも「迷い込んだ」とつけている。しかしこれは、ちょっと誇張している。実は、小4の時には決心はついていたのだ。
元々ウルトラマンやバズライトイヤーに憧れていたのだが、小学校に上がるタイミングくらいで「どうやらこれは職業ではないらしい」ということに気づき、「宇宙飛行士なんて仕事があるのか。いいなあ」と思っていた。
そんな風にぼんやりと夢見ていたある日、学校の課題で「将来の夢について調べてみましょう」という”あるある”な課題が出された。帰宅して親にパソコンを貸してもらい「宇宙飛行士 なり方」で検索した僕は、JAXAのとある書類を拾った。
「平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者 募集要項」。宇宙飛行士の募集案内である。その当時2008年2月は、宇宙飛行士選抜試験の10年ぶりの実施をJAXAが丁度発表していたタイミングだった。曰く、
(2) 大学(自然科学系※)卒業以上であること。
※)理学部、工学部、医学部、歯学部、薬学部、農学部等
(3) 自然科学系分野における研究、設計、開発、製造、運用等に3年以上の実務経験(平成20年6月20日現在)を有すること。
(なお、修士号取得者は1年、博士号取得者は3年の実務経験とみなします。)
どうやら、宇宙飛行士になるには「理系」じゃないといけないらしい。そして大学を卒業していきなり宇宙飛行士になるのは、どうやら無理らしい。
「アナタは『何者か』にまずなってから、宇宙に来てくださいね。」
JAXAはそう言っていたのだ。
さて、では僕は「何者」になればよいのか。エンジニアになるか、パイロットになるか、はたまた科学者になるか。
実は、宇宙飛行士に求められるバックグラウンドは、宇宙開発のフェーズによって少しずつ異なる。有人宇宙開発が始まったときには、飛行士は全員、軍のパイロットから選ばれた。その後アポロ計画ではエンジニアや地質学者が登場し、国際宇宙ステーションが出来てからはそこで実験を行うために材料科学やバイオなど、さまざまな分野の研究者も宇宙飛行士として採用されるようになった。つまり、時の政府の方針によって、自分の学問的バックグラウンドで飛行士になれるか否かは大きく左右され得るのだ。
それでは困る。毎年首相が変わったって(当時はそういう時期だった)、僕は何としてでも宇宙に行きたいのだ。考えた末に小4のアタマでひねり出した答えが、医学だった。
宇宙飛行士は常にチームで行動する。超健康体の宇宙飛行士とて、人間の子。ちょっと無理をして体調を崩したり、重力の差に慣れずにどこかをぶつけたりすることくらいはあるだろう。そうなった時に、地上から医師を呼ぶわけにはいかない。だから、チームに医師がいるに越したことはない。ジェミニ宇宙船やアポロ宇宙船のように2人乗りの短期ミッションなら医師を連れて行っている余裕は無いだろうが、これからの宇宙開発はそれよりももう少し多い人数で長期間動くことになるだろう。そうなれば、ミッションの目的によらず常に医学は必要とされ続けるのではないか。
他にも、「宇宙飛行士志望者の中では、パイロットよりも医師の方が珍しくて競争優位なのではないか」というニッチ戦略や、「もし飛行士になれなかったとしたって、これほどやりがいのある仕事は無い」という純粋な気持ちもあったが、大部分の理由は、あくまでも「宇宙に行きたい」というモチベーションのもとでの作戦だった。
こうして、極めて打算的に僕は医学部進学を決意した。
浪人中に見つけた光。
こうして「宇宙のために医学部へ」という目標を立てたは良いものの、中高は部活と学校行事に明け暮れて勉強という勉強をせず、あっさりと入試に落ちて浪人が決まった。
医学部に行ければどこでも、と思って医系の予備校に入ったのだが、ここが凄いところだった。
「母がガンで苦しんだ。自分はそれを根絶したい」「この難病を一生かけてでも治して見せる」「地方の集落に医療を届けたい」などなどなど、周りには想像を絶する純度で夢を語る同級生ばかり。そんな彼らからしてみれば、「宇宙に行きたいから」などというエゴを濃縮還元したような打算的理由など、到底受け付けられるものではないだろう。「そんな理由で聖職に就くな」「医者一人育てるのに幾らかかってると思ってるんだ」「医学は踏み台じゃない」彼らが発するであろう台詞は、容易に想像できた。
僕は本当のことを誰にも言えず、かと言って諦めることもできず、肩身を狭くして過ごしていた。
そんなある時、廊下ですれ違った友人たちの会話から「ロケット着陸したらしいよ」という衝撃的な文句が聞こえてきた。
そんなバカな。ロケットは使い捨てるもので、ちっぽけなカプセルを運ぶのに数百トンの燃料と精密な機体を一気に消費しなければならなくて、だから費用が莫大で、だから未だに「夢」のままで、だから僕の肩身がこんなに狭いんじゃないか。
気づいた時には友人の肩を掴み、「それマジで!?」と大声で叫んでいた。
イーロン・マスクという名前をご存知の方は多いだろう。「火星に人類を住まわせる」ことを本気で考え、常軌を逸したアプローチでロケットの値段を従来の3分の1にまで下げた革命児だ。しかしその価格破壊の鍵となる「ロケットの再着陸・再利用」には難航し、何度も失敗を重ねていた。それがようやく実を結んだのが、その日の打ち上げだったのだ。
これが世界に与えたインパクトはとてつもなかったが、その末端の末端の末端として、僕の宇宙好きがバレるというインパクト(?)をもたらした。
とっさに「しまった」と後悔したが、時すでに遅し。腹を括って本当のことを打ち明けた。しかし友人たちの反応は意外なものだった。
「えー、宇宙興味あるの?面白そう、教えてよ!」
てっきり糾弾されるものとばかり思っておびえていた僕は、拍子抜けした。
その日の帰り道、安堵と困惑とを混ぜあわせながら歩いていると、次第に「これで良いのではないか?」という気持ちが湧いてきた。
とどのつまり僕が医学に取り組む理由は「宇宙で医師が必要とされるから」。もう少し言えば、「宇宙に行く人がいる。人がいる限りそこに医療が必要である」というロジックだ。でも少し考えてみよう。文中の「宇宙」を「地域」に変えてみると…?「地域医療に取り組みたい模範的学生」の作文になる。「離島」でも「山間部」でも「途上国」でも同様で、「必要とされたい」というエゴは皆一緒なのだ。つまり結局大事なのは後半部分、「人ある所、医あり」ということ。そこさえ見失っていなければ、あとは場所が違うだけ。宇宙だって、ただの「場所」でしかない。毎年医学部の門を叩く数千人の中に、一人くらい宇宙を向いている奴が混ざっていたっていいじゃないか。
「宇宙に人が行く限り、そこに医療が必要だ。僕はそれをやりたいんだ」
以来、相手の目を見て、胸を張って周囲に言えるようになった。
本編は連載形式です。次回は「汝、世界を広げたくば...」から、ご期待ください。
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