宇宙を目指し、医学部に迷い込んだ先に見た景色。|#5
本編は連載形式となっております。前回の記事はこちらです。
プラットフォームを卒業するということ。
スタディツアーのプロジェクトが無事に成功を納め、次のツアーの準備にとりかかっていたころ、僕はあるモヤモヤを抱えていた。
Bizjapanというプラットフォームは、ユニークな興味関心を持つ学生のたまり場だ。留学生による地方創生や、障碍者との共生、インドネシア、ウェルビーイング、データサイエンス、ドライフルーツによるフードロス削減などなど、皆それぞれに強い軸を持っている。これはとても素晴らしいことだが、同時に問題も生じる。誰かが始めたプロジェクトを、誰も「引き継ぐ」ことが出来ないのだ。過去にも大きなプロジェクトが後輩の手に引き継がれようとしたことはあったが、彼らには彼らのライフミッションがあり、それと折り合いをつけながら別の人が立ち上げたプロジェクトのミッションを実践していくというのは難しい。
僕の始めた宇宙医学のプロジェクトも、まさに同じ状況に直面しようとしていた。宇宙開発の国際会議でさえ医学生が1人しか居なかったくらいなのだから、「たまたま入学時点で宇宙医学に関心を持っている学生がいて、その人がたまたまBizjapanの門を叩いてくれて、さらにはプロジェクトまで回してくれる」などということは、100年待っても起き得ないだろう。
しかし、「宇宙医学の受け皿を作る」というミッションはまだ始まったばかりで、僕一人では大きくしていくのは限界がある。僕は頭を抱えた。
そんな頃、とある宇宙医学研究者の先生からこんな連絡をいただいた。
「君と同じように宇宙医学に早くから関心を持っている学生が大阪にいる。近々用事で東京に来るそうだから、是非会ってもらえないか」
そして、こんな言葉が続いた。
「2人が出会えば、面白いタッグになる」
一体どんな人なのだろうと恐る恐る会いに行ったが、話し始めて数分もしないうちに、僕はこの出会いに心から感謝していた。全く同じ問題意識に共鳴し、同じ方向を向いている仲間を見つけることができたのだ。宇宙医学のことや、その現状について一通り語った後、彼女はとあるLINEグループを見せてくれた。「Space Medicine」というシンプルな名前のつけられたそのグループには、10人ほどのメンバーがいた。「宇宙医学に少しでも興味のある人を、とりあえず集めているの。ここからどうするかはあまり考えていないんだけれどね」と彼女が笑って話すのを聞いた時、僕は「これだ!」と内心で叫んだ。
そもそも考えてみれば、Bizjapanはプラットフォームである。であるならば、入ってくるもの、生まれるものと同様に、出ていくものがあって当然ではないか?プラットフォームという言葉は「土台」という意味を持つが、それはBizjapanの場合「プロジェクトを生むための土台」であり、「プロジェクトを走らせ続けるための土台」ではない。つまり、「プラットフォームの力を借りなくても自立できるプロジェクトは、巣立っていくのが望ましい」ということになる。
この点に気づくと、「引き継ぐ」という発想そのものが間違っていたことにも気が付く。持続できそうなプロジェクトは、後輩に押し付けるのではなく外に出してプラットフォーム内に余白を作り、新たなプロジェクトを生むための素地とするべきなのだ。
進むべき道は見えた。プロジェクトをBizjapanから卒業させ、先述のLINEグループを母体とした別団体として独立させる。そして、スタディツアーという「活動の中身」を移植し、そこからさらに他の活動も展開していく。宇宙医学に関心を持つあらゆる学生のための受け皿となり、アカデミアの先生方との架け橋となる。
こうして、Space Medicine Japan Youth Communityが立上げられた。かつては10人だったLINEグループの人数は90人を超え、現在は医学生を中心に、スタディツアーの運営や実施だけでなく、講演会の開催、学会での発表、Facebookでの情報発信など、活発に動いている。
ようやく時間が今に追いついたので、この連載はここで終わる。
自分の思いに素直になり、様々なチャンスに恵まれながら、それを逃さずに活かしてきたことで、道は拓けてきた。
一方で、宇宙飛行士だけを見ていた入学前と比べると、自分が何者になるのかについては、さっぱり分からなくなってしまった。それだけ多くの可能性に目を開いたからだ。ただ一つ、「医学から宇宙開発に貢献する」ということだけは、変わらずに目指し続けるはずだ。
物語はまだ、始まったばかりだ。
(完)
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