【BI-TO #02】風待ちの島・大多府島(加子浦歴史文化館・学芸員 西﨑美香さん)
大多府島は、岡山県備前市にある日生諸島の中で、もっとも外海に位置する有人離島。
ゆったりとした時間が流れるこの島には、他の島にはない独自の文化や行事がありました。そんな大多府の歴史や文化を調査している、加子浦歴史文化館の西﨑美香さんにお話を伺いました。
——大多府を調査するようになったきっかけは?
備前市歴史民俗資料館の学芸員の誘いで、日生諸島の調査のために大多府に行ったのがはじまりです。日生諸島の民俗に関する調査報告は昭和30年代から昭和60年頃のものが残っているのですが、調査から時間も経っており、時代の流れや人口減少に伴う伝統文化等の変化の実態を把握したいと思い、まず大多府から着手しました。
——大多府ってどんな島?
大多府は、他の日生諸島とちょっとルーツが違うんです。
江戸時代の初期、薩摩藩主島津侯が参勤交代のため船で日生沖を渡る時、海が荒れましたが大多府に避難して助かりました。そのことを岡山藩主池田侯に伝えたところ、当時はまだ無人島だった島に港を整備することになり、1698年(元禄11年)に開港しました。その時、加子(水夫)役として近隣住民に移住を奨励したのですが、集まったのは日生地域以外の農民たちでした。そのため日生本土や他の島々とは文化が異なるのです。彼らは日頃は農業を行っていて、船が立ち寄った時に給水などの雑役に従事していました。
——島の名前も、昔は「大漂(おおたぶ)」と表記されていたけれど、次第に太宰府と同じように「大多“府“」と書かれるようになったと聞いたことがあります。今も“島“を付けず「大多府」と呼ぶ方が地元には多いですよね。
——大多府の特徴や、興味をひかれるポイントは?
元禄防波堤や燈籠堂など開港当時の面影を残す風景と、穏やかな時間でしょうか。
いまはほとんど行われていませんが、島独自の年中行事が多くあったことにも、興味を惹かれます。特に小学生の男の子だけが参加できるものが多かったそうです。
たとえば「水神祭」。2つ並んだ「六角井戸※」の真ん中に水神様を祀る小さな祠があるのですが、4月になると島の男の子がムシロで小屋を作ってそこで一晩を過ごしていたそう。掛声をかけながら近所を回り、大人からおこづかいをもらってお菓子や文房具代などに使います。他にもお盆の「万灯(まんどう)」など、他の島々にはない行事や発祥がわからないものもあって、研究のしがいがありますね。
——日生の島と海を調査する西﨑さんから見て、日生の固有の文化って?
昔は今よりも海岸線が入り込んでいて、この地域で生きるなら海と関わるしかなかった。でもそんな環境だったからこそ「この土地で、この風土で、なんとか生きていこう」と、海の業(わざ)が育まれました。
たとえば海運業。「日本の海運業界で日生の名前を知らない人はいない」と言われるほどです。壺網漁も日生でうまれた独自の漁法として有名ですよね。
そんな固有の業を伝えるため、日生や島々から全国へ、多くの海の男たちが旅立っていきました。そして訪れた先々で人と出会い、時にぶつかりながらも伝手と人脈を広げ、生業を営んできた–––そんな進取の気質が、今も地域の人々に受け継がれていると思います。そんな文化や歴史を、地元の方にももっと知ってもらえたらと願っています。
お話を聞いた人
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■目次
・ISSUE#02 いま、島と。
-頭島:島とあかり
島のあかりを子どもたちに繋ぎたい
-別荘がつなぐ島・鴻島
-風待ちの島・大多府島
・「大人のしゃべりBAR」開催レポート
・ZINEワークショップ開催レポート
・Do you know…?
三石耐火煉瓦ビール/コチビール/山東水餃大王
・島さんぽMAP
2024年6月25日発行
発行:BIZEN CREATIVE FARM
南裕子(編集・執筆)
吉形紗綾(執筆・デザイン)
池田涼香(デザイン)
松﨑彩(デザイン)
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