映画感想:「気狂いピエロ」
夢心地のリアリティ。普段私たちは生きているのか、夢見てるのか
映画鑑賞経験がそれほど多いわけではなく審美眼を持たない私にはこの映画が傑作と呼ばれている所以を完全に理解することはできていないが、
「生きる」ということの持つ空想/物語的な側面を、映画という非現実的な世界/夢想的な演出から逆に現実に引き戻すことで実感できるようになっている映画なのかなと、以下のようなところから感じた
フェルディナンとマリアンヌが一夜を過ごしたあとあまりにも唐突に人が死んでいたため、少し面食らう
逃避行が始まった時に、フェルディナンがこちらに向けて話しかけてきた時にはドキッとした。観客が当事者として映画の中に吸い込まれていくような感覚を醸成することが狙いだったのだろうか
ニースにたどり着いたあと、海岸に照りつける太陽や人気のない景色が、浮ついた現実感のない楽しさを助長していた。詩を書きたくなる感じやさらに悪い方に事態が転がっていくことも含めて、向き合わないといけないことから逃げている時に感じる心象風景と重なりリアリティがあった
殺された背の低い男や、終盤に出てきた幻聴の中歌う男など、奇妙な登場人物が夢っぽさを増していた
音楽のボリュームが不自然に上がったり下がったりすることで、これも不気味な雰囲気を醸し出していた
自分の鑑賞力不足でおそらくこの映画の魅力の1/10もわかっていないのではないかと思うと、大変もどかしい。
映画鑑賞の修行は続けていきたいと思う。