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読書感想 : 「天才の世界」(湯川秀樹)

https://www.amazon.co.jp/天才の世界-知恵の森文庫-t-ゆ-1-1/dp/4334785204

あらすじ

創造性について探究していた湯川・市川両教授が、4名の「天才」(弘法大師、石川啄木、ゴーゴリ、ニュートン)を題材に、インタビュー形式で彼らの「天才」性を解き明かしていく本。

読後感想

「天才」が語る異分野の「天才」の手触り感あるエピソード

湯川秀樹教授という「天才」が認める「天才」4名についての幼少期の原体験から生育過程での出来事、そして彼らを天才足らしめた彼らの創作物が結晶化するまでのエピソードが深掘りされており、まずそれ自体が「へぇ、こんな体験をしていたのか」、「実はこんなことまで主張していたのか」、との発見が多く面白かった。(例えばニュートンは幼少期に父がおらず、その不在を埋める形での神の存在の想定、そして神が定める秩序としての力学体系を構築したというエピソード・分析は非常に示唆深かった)

加えてこれだけ全く異なる領域の大家について非常に多岐にわたる知識を有する湯川氏の博学にも大変恐れ入った。


「天才」の特質は3つ挙げられている…が、歴史上の偉人にまで昇華する「天才」にはもう一つの要素があるのでは?

さて、4名のケーススタディを通じて明らかにした「天才」の本質というところで、後書きにまとめてあるのが「自己顕示欲」「内的葛藤」「社会的矛盾」の3つが「天才」の特質だという。
確かに身の回りの「天才」と呼ばれるような人たちを見渡してもそのような特質をみな有しているように思え納得感があるが、加えて本書に挙げられるような歴史上の偉人にまで昇華する「天才」にはもう一つ要素があるように思える。
彼ら4人には、抽象的な言い方になるが「世界との一体化」のようなものが最後のピースとしてハマった時に、歴史上の「天才」へと化けたのではないだろうか。

IQがとんでもなく高い、いわゆる「ギフテッド」と言われるような人たちが身の回りに何人かいる。彼らはその卓越・超絶した能力故に必然と社会の中では一定の孤独を味わうことになり、一方で彼らも1人の人間であるために孤独には耐えられず社会との接続を求める精神の動きが生じ、自己顕示欲や葛藤、矛盾が生じる。
ところがこれだけでは、スケールの小さい、小さくまとまった「天才」になってしまう恐れがあるように思う。社会の片隅で「え、なんでこの人こんなに頭いい/才能があるのにこんな所にいるの」との思いを時折り周囲に引き起こすに過ぎない、一片の歯車として生きる「天才」である(皆さんの周りにも1人や2人いるのではないだろうか)。

この段階から、膨大な内向きのエネルギーを使って創造されたもの社会/自然/宇宙と共鳴して初めて歴史上の「天才に」化けるのではないだろうか。本書で取り上げられた「天才」の場合は、それが悲哀という人類共通かつ深淵な精神状態に共鳴する詩(石川啄木)や文学(ゴーゴリ)であったり、曼荼羅という宇宙/全自然学的要素を持つ概念(弘法大師)、自然界を力学的側面から秩序立てた体系(ニュートン)であった。


結局、どの特質も内部に向かうエネルギーの高まりがその発現の条件か

本書に挙げられていた3つの特質に加えて「内部に向かうエネルギーの表現系が世界と一致すること」とも言える4つ目の要素を挙げてみたわけだが、とはいえ、これは他の3つとは全く独立なものではないと思う。

この4つの要素のいずれも、要するに内部に向かうエネルギーが高まることにより、自己顕示欲は高まり、葛藤や矛盾は生じ、かつ(ここには論理の飛躍が間違いなくあるが)「個人の内部の宇宙」が「外部の宇宙」と一体化する臨界点を超えるのではないだろうか。
全く論理的ではないほとんど宗教的な主張で申し訳ないが、直観的にこのような現象は実際にあるように思えるのである。

(漫画「バガボンド」で宮本武蔵が我執の肥大の末に天とのつながりを自覚し大剣豪となったのも、つまりそういうことだと解釈している)


どうすれば「内部に向かうエネルギー」が高められるかを考えることは今後の宿題

この辺りは自信の関心の対象でもある仏教や禅などを深める中で、確かめていきたい。またその「内部に向かうエネルギー」はどのようにすれば高まるのか、も今後考えて/調べていきたい。

コンプレックや生育環境などコントロールできない要素も多分にあると思うが、これを高める方法論を仮に確立することができれば、それは個人にとっても社会にとっても善いことのはずである。

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