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近所のおっちゃん

私がまだまだ小さい可愛い頃。
低学年あたり。

近所の神社で夏休み恒例のラジオ体操があった。

眠い目をこすりながら蝉のギーギーなく声を聞きながら毛糸の紐で括り付けたラジオ体操カードもって向かう。

町内の子供たちと親御さんたちが境内の広場に集まっている。
ラジカセから聞こえるレトロな音の割れから聞こえるラジオ体操の歌。

♪あーたーらしい!朝がきたー!
きーぼーーのあーさーーーだ!!!

君が代より聞いた気がする…笑

そして、ラジカセから男性の声が響く。
たまに中継だったりとかなりあの時代は名物運動だったと思う。よくよく考えたらほぼ毎日あった気もするラジオ体操。
いま少ないらしいね?1度でいいから夏休み明けの皆勤賞を表彰されてみたかった…。笑

さてさて…。ここまで書いておいてあれだが、私は決してラジオ体操にくる近所のおっちゃんの話を書きたい訳では無い。笑

かわったおっちゃんというか、おばちゃんはいたけどそれはまた。

そのラジオ体操でいく神社の近くに住むおっちゃんの話。

そのおっちゃんちにはハスキー犬が2頭いた。
 銀毛と茶毛の可愛いでかい犬だった。

わたしはラジオ体操がおわると境内の裏に周り、いつもその犬に話しかけていた。

柵にびょんと手を乗せてへへへへへへへへへへへと荒く呼吸して舌を出して答えてくれる。

なんとも、可愛くて程よく臭みもあって。
わたしの唯一の早起きする理由でもあった。

いつものようにラジオ体操がおわって 犬を愛でにいくと、家の主、おっちゃんが窓から顔を出していた。

そのおっちゃんというのはなんとも厳つい顔をしていた。
ブルドッグやピットブルのような顔つきに少し嗄れ声であった。パッと見だけでもかなり怖いおっちゃん。


しかし純朴な私は元気に挨拶して話す中ではあった。
「あ!おっちゃーん!」
「おー!ビヨ、ちゃんと顔洗ってきたかー?」

そんなような会話からはいる。

 おっちゃんは笑うと可愛い人ではあった。
そして、子供が好きな人だった。
ある日はおっちゃんがスイカを切って待っててくれたり。
仕事場のゲームをさせてくれたり。
朝ごはんや昼ごはんを食べさせてくれたりした。

夏休み中のわたしのたまり場になっていた気もする。

おっちゃんにはおばちゃんもいる。
でも子供がずっといなくて。
冗談でよく、うちの子になるかー?なんて言ってくれていた。
(実はあまり冗談でもなかったらしい笑)

そんなおっちゃんおばちゃんはわたしがいつも一人でチャリンコに乗ってぽーっとウロウロ遊んでいるのが気になっていたらしい。

ある日におっちゃんから
お「ビヨは夏休みに家族でどっか行かんのか?」
ビ「いかん!みんな仕事やし車ないもん」
お「どっか行きたいところないんか?」

ビ「んー。学校以外のプール行きたいしあと、花火したい」

そんなような事をいったらおっちゃん、おばちゃんは
ほなら、 旅行にいこうと誘ってくれた。

私はお母さんにすぐ伝えた!

び「ねぇねぇ!ハスキー犬かっとる家のおっちゃんが8月に旅行連れてってくれれんと!!」

おかん「…!?!?ほんなん甘えたらダメに決まっとらないね!!だめや!断ってきなさい」

あっけなく。

私は次の日おっちゃんに行けんというと、おっちゃんとおばちゃんで夜に家に来て許可をとっていた。

めでたく行けることになった。

まぁ…なんでおかんはダメやゆーたかといいますと、もちろん、血縁関係もないし他人に甘えてはダメなのもあったんですが、もともとおっちゃんというのはかなりの…かなーーーりのワルで有名だったそうな。


さておき。
あっという間に約束の日。
わたしはおばちゃんの故郷 珠洲市へ旅行に連れてってもらった。

おばちゃんちは隣2件で木造住宅で目の前が海だった。
ざばーんざばーんと波の音が聞こえる
波消しブロックもあるけど砂浜で海が透けて美しいことに驚いた。あれはどこの町やってんろうか。
とにかく綺麗だった。

箱メガネと小さな木造の船もあった。
わたしは寺井からスクール水着を着ていったからすぐに泳ぐことが出来たのだった。

全く違う海に何時間も遊んだ。

そして、お昼におばちゃんのお母さんが作った煮物のとおにぎりとミョウガの入ったつみれ汁を食べた。

これがすごく美味しくて。
私の中であれを超える幸せはなかなか出会えてない。

美味しいと言うと
おばちゃんのお母さんは
「空腹やといちばんのごちそうになるや」的なことを言ってみんなが笑ってた。だから私も笑ってた。
幸せやった。

そして私は懲りずにまた海に出かけて遊びまくった。
木造の船にも乗せてもらった。
箱メガネをいれるとたくさんの魚が泳いでいた。
目の前に広がる新体験にワクワクが止まらなくて。
なにもかもがファンタジーだった。

船に乗ってよったら遠くの緑を見ることも
フナムシは海ゴキだとか。
アカモクはプチプチ潰すと音が出るたら
ウニやさざえを拾っては遠くになげるとかとか。
日が暮れるまで遊び呆けた。

夜も、ごちそうだった!
魚の焼いたやつに佃煮とご飯
あとキノコの煮物?に茹でたさざえ。
初めて食べる料理。美味しくておかわりもした。
みんな我が子のように可愛がってくれた。

お風呂は外で五右衛門風呂だった。
私は足が届かないということで湯をかけて貰って洗った。
髪の毛がカジカジになったけどぺとりとした感じがなくなってすごくスッキリしたのも覚えてる

夜は土間の扉もあけて蚊帳をつけてくれた
アラビアンナイトてきなお姫様的なすごく嬉しかった。
真っ暗な中
蚊取り線香の香りと少し激しめに揺れる青銅の風鈴と遠くから聞こえる波の音があっという間に私を眠らせた。

とかおしゃれなこというけど、ぶっちゃけ遊びすぎてヘトヘトだったからすぐ寝た。


朝は早かった。
ラジオ体操もないのにすごくみんな早起きて叩き起された。
裏にある小さな山でみょうがをつむ。
そして、近所さんから魚を貰った。
その魚を焼いてみょうがを切って 味噌と合わせていた。
なめろうてきな?それに炊きたてのご飯の上に乗せて、あら汁と凄くくっさい古漬けのつけものを食べた。

つけものだけはおっちゃんにあげた。笑

それからまた海に行こうとしたら、今日は祭りを見に行くと言ってくれた。

祭りと言えば私の町は九谷茶碗まつりか、秋祭り。
きくと、大きな神輿が出てその下を通ると頭が良くなるそうな…笑

わたしはとにかく祭りが好き。
ワクワクしていく。

ビヨチャン 衝撃を受ける。笑

寺井の祭りと全く違った。
多分私の記憶が間違えでなければ飯田燈籠山祭りor宝龍キリコ祭りだった。……かな?

キリコの上に派手な人形がいた気がする。

とにかくチンドンチンドンと音がなり、わーっしょいわーっしょいじゃない掛け声がする。

大きな見上げるキリコに驚いたのだった。

そして止まってるキリコの下をググらせてもらった気もする。足元にたくさんの子供がいた。

…。
……。

もう少し私の記憶と当時の私がもっとしっかりしていれば

珠洲市のなにの祭りかわかったのにな…と今少し後悔してる。



そして、日が暮れて明かりが灯る。
まるでおおきな船が動いているかのような。
まるでおおきな山が動いているかのような。

まるで
まるで

わたしの知識だけで例えられない煌々と明るいキリコがゆらゆらと動いていた。

屋台はなかった気がするし、屋台に甘えてなにか買ってもらうってよりずっとそこ景色を見てたかった。

太鼓と鐘?もすこし触らせてもらった気もする。

そしてまたおばちゃんの実家に帰る時
また次も来たいと伝えた。

おかげさまで
連続3年夏には珠洲市にお泊まりにこさせてもらった。

しかし、今は疎遠にもなって。
おばちゃんも亡くなって。

この思い出はずっと鮮明にあるのになぜかこう、ピースが足りないパズルみたいで。

もっともっと詳しく知れたらよかったのにな…。

もう一度あの海に行きたい。



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