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どこにどう立っている?この出来事はどう生じたの?…からだで探り味わう中動態

中動態をからだで味わう会 のご案内

 言葉は時代ととも気付かぬうちに変わっていきます。日本語も英文法を意識して用いられることが多々感じられ、その影響は身体の感覚にも知らぬ間に現れているようです。

 能動態と受動態はよく知られる文法ですが、英語の元の印欧語圏にはその対はなく、代わりに能動態と中動態の対があったそうです。

 言葉は時代とともに変わっていきますが、からだの形態の変化は殆ど昔と変わりません。そのからだの感覚で失われた中動態について探り味わってみます。

①6月29日(土)
②7月6日(土)
それぞれ
16時~17時半
終了後、お茶しながら交換の時間あり。

於:蔵書室ふもと
杉並区善福寺2-19-23

<蔵書室ふもと>は、編集者とフリーライターの夫婦が、蔵書スペースとして借りたアパートを活用して、子どもが放課後に寄る場・地域の交流の場として開いている場所です。

会費は真摯に地域とともにあることを考えるふもとさんのスタイルで、カンパ制です。

参加者は8名まで。
中学生以上どなたでもご参加ください。
二回参加できる方が優先、一回参加希望の方も調整いたしますのでこちらのnoteに
もしくはbiyojk*ymail.ne.jp(*を@にして)へ
ご連絡ください。

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中動態をからだでなぜ味わうのか…

 英語でよく知られる、能動態/受動態の対は、加害者/被害者をより区別しやすくするために至ったとも言われています。
 英語の元となるインド・ヨーロッパ語圏には、能動態/受動態の対立は存在せず後世になって出現した新しい文法規則で、代わり能動態/中動態の対立があったことが紀元前1世紀の文献から分かっているそうです。

 中動態は、主語がその行為の過程の内にあり、自然の勢いが実現される様を指示し、その過程で起こる出来事を描写する言語とも言われています。
 日本語には文法として存在しませんが、主語が表記されないことがある日本語と、中動態が使用されていた古代ギリシャの行為者が自らの行為の源泉であるという考えがないという点は共通するところがあります。
 言語学をはじめ、哲学、自ずと、生成する、なる、などと近い言葉としてもこれまで臨床心理/医学、芸術学などで中動態が日本でも論じられています。

参考文献『中動態の世界』國分功一郎著
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/87748

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 からだの形態は昔と変わりませんが、身体感覚については、例えば科学技術の発展にともなう近代化で、日本では明治時代になると欧米化し軍隊の歩き方を教育現場で教え込むなど、大きな変化がありその後、経済成長、資本主義社会、ネット社会と便利さ快適さがより求められ、さらに今回のコロナ禍で確実に身体感覚が変化したことを実感させられます。

 その変化の方向は、脳神経を中心とした筋緊張を伴う形を重視する、いわゆる出来る出来ないで計られるもので、ロボットが人間化しているのではなく人間がロボット化している、という言葉にも象徴されます。今後、社会がAI化へと進む中で、私たちの身体感覚は更に変化を余儀なくされそうです。

 こうした身体感覚の変化に対してその時代ごとに、呼吸法や体操や整体法などの身体技法そして舞踊など、からだや動きのあり方だけでなく、場や存在・世界の捉え方などが、提案され語られ実践されてきました。これら変化への応答の中に失われた中動態的な要素を持つ面が見られます。
 
 今一度、私たちの身体感覚はどのように変わってきたのか、中動態とは何なのかをからだで探り味わうことは感じ考えるヒントとなると思っています。
ご参加お待ちしております。

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