右大臣実朝、映画2本_m
※画像は映画『やまぶき』のトレイラーから。
突然寒くなってきた。もう12月なのだ。
12月3日(土) 太宰治『右大臣実朝』
ドラマ「鎌倉殿の13人」で、ついに先週、実朝が死んだ。悲しい。なんでもいいから実朝について知りたくなり、青空文庫で太宰治『右大臣実朝』を読んだ。こんなことをいったら太宰治に申し訳ないが、文章がうまい。小説としても面白い上に、鎌倉殿と比べながら読むので一層楽しい。
”相州さま”(義時)が、ひどい言われようだ。
「どうもこれは申し上げにくい事でございますが、思ひ切つて申し上げるならば、下品でした。」と、突然書かれて、ギョッとする。
「どうも、北条家のお方たちには、どこやら、ちらと、なんとも言へぬ下品な匂ひがございました。(…)いいえ、決して悪いお方たちではございません。まじめな、いいお方たちばかりでございました。」
「正しい事をすればするほど、そこになんとも不快な悪臭が湧いて出るとは、まことに不思議な御人柄のお方もあつたものでございます。」
それと対比的に、実朝は、天稟にめぐまれ、人間が上等で、天衣無縫の存在として描かれている。彼のセリフだけがカタカナで語られるのも高い効果を発揮している。まるで天から降ってきたように聞こえるのだ。
実朝の読む歌にもその性格は表れてて、何の裏の意味もない、見たその通りに読んでいるのだ、と何度も言われている。たしかに、ドラマでも出てきた、「大海の 磯もとどろによする波 われて砕けて裂けて散るかも」という歌は、なんというか、そのまますぎて、すごい。鴨長明が実朝をたずねてくる挿話も面白かった。
さて、その義時と実朝の間に、最後に割って入ってくるのが公暁で、たぶん太宰は公暁がとっても書きたかったのだと思うのだけど、公暁だけがすっかり現代人なのだ。なので、「鎌倉殿の13人」において公暁だけがまるで現代の若者みたいなウェーブがかった髪型をしていたのは、とても正しいのだとわかった。
公暁が語り手とともに由比ヶ浜にでて、朽ち果てた唐船のかげから蟹を何匹もとってきて、むしゃむしゃ食べるところは、とつぜんトーンが変わって、長セリフで、実録になっていて、名シーンだ。
そして、この小説は、いつも該当する場面の吾妻鏡からの引用から入るのだが、この公暁のシーンに続いて、核心がやってくる。
鶴岡八幡宮の参詣の行列の名前が、ずらずら、ずらずらと並ぶところで、アッ なるほど、この話は、こういうふうに終わるんだ! という天啓が閃く。太宰は吾妻鏡からここを引き写すときに、人々に与える効果を確信して、指が震えただろうと思う。
私はもう、”ちいかわ”のように、「ワァ、、、、」と声をあげて、そこからは涙、涙で、涙があとからあとからあふれて、活字が読めなかった。さ、実朝ぉぉぉぉぉー!!! 実朝ぉぉぉぉぉー!!!
公暁は実朝の首を、阿部定みたいにずっと抱えていたという。
もう、史実がドラマチックすぎるよ。
こうして『右大臣実朝』を読み終わったあと、涙を拭いて、阿佐ヶ谷の「ときざきR」という羊毛屋さんに行った。電動ドラムカーダーを借りに。大変はかどった。店内は、フェルトでスリッパを作る人、糸を紡ぐ人、なにやらタペストリーみたいなものを織る人で混んでいて、ほぼ無理やり入れてもらった。お店の方に、「もう、強引。すごい強引。」と言われたほどだった。
行く前に、「もう絶対に在庫を増やさないぞ」と誓ったのだけど、結局、またセーター1着分のペレンデール(※ロムニーとチェビオットの交配種)を買って帰ってしまった。だって毛の感じがとっても素敵だったんだ。
12月5日(日) 『ワタシの中の彼女』『やまぶき』
土曜日にAさんからメールがあって、明日mさん(私)が前に言ってた映画がユーロスペースでやっているから見に行くが、一緒に行かないか、と誘われる。
私が言ってたという映画、それは『ワタシの中の彼女』じゃなくて、『偶然と想像』だよ! と思ったけど、まぁ、せっかくだし、行くか、ということで、見に行った。ついでに、ある映画批評家(この人が面白いというものは外れない)が激賞していた『やまぶき』も見に行くことにした。
適当に入った韓国料理屋さんでカムジャタンを食べた。初めて食べたけど、辛めのスープに骨付き肉のコラーゲンとジャガイモがとけて、めちゃめちゃおいしいな。
・『ワタシの中の彼女』(中村真夕監督)
女性を主人公とする4つの短編集、という点で『偶然と想像』と似ていて、Aさんが間違えたのも無理ないのかもしれない。4人の女性を菜葉菜さんという一人の女優が演じてわけていて、これがちゃんと別の人に見えてすごいのだった。本当はこういうことは起きないだろうな、と思う、短編の短さもあり、かなり無理を感じるところがあるのだが、それにもかかわらず、どの話にも説得力があった。第3話の「かもめ」の台詞をいうところ、そして、第4話が官能的でよかった。
・『やまぶき』(山﨑樹一郎監督)
たいへんよかった。最初のほうの、馬が、ほわっほわっと足をあげてトロットするシーンが映し出されたところから、もう、心が動かされてしまった。チャンスの見るように、見ているのだ。そこだけで、ああ、いいものを見てしまった、と思う。採石場の岩が粉々になっていくところも、とてもいい。チャンスさんをはじめとして、俳優さんたちとそのキャラクターがみんな、多面性と重層性をたたえていて、チャーミングで、本当によくて、例えば、街頭で山吹と一緒に立つ人とか、採石場でチャンスと一緒に働いている人などの、ちょっとした端役まで綿密に、たしかに背景を背負ってそこにいる感じがして、捨てられている人がいない。生きているたたずまいとか、この人はこういう人なんだという感じが、ほんのわずかなセリフの中だけでも立ち上がっている。特にチャンスさんが表情から何から、とっても素晴らしくて(ときどき出る韓国語もいい)、ああもう、正社員の話が出た段階で、「お願いだ、フラグ立てないでくれ!!!」と思ったね。
ネタバレしないように、あんまり本筋ではないことを書くけれど、小道具が素晴らしい。特に馬に関するものがぜんぶいい。子どもが描いたにしてはうますぎる絵とかが、いかにも子どもがつくったものを出すよりも、美しくて、ずっといい。これは象徴なのだからそれでいいのだ。
ちょっと疑問なところは……チャンスの借金はどうなったんだろう。ヤクザはちょっと戯画的すぎる気がした。また、山吹の母親は出すぎのように感じた。いや、出たほうが父親の言葉(これも実は自分にはあまりよく理解ができなかった…)が重く響くのだろう、とは思うのだけど、後半になって山吹のかかえている生真面目さ、真っ直ぐさが、わかりやすいところに回収されすぎてしまう気がした。砂漠に立つ山吹がメインビジュアルとなるのも、(たしかに印象的だけど)、なんだかよくわからない感じが残る。でもまあ、これは些細なことで、見直したら感想が変わるかもしれない。
あ、ついでに書けば、山吹のお父さんが山好きのようで、山に人を誘ったり、山に登るシーンがあり、「あ、お好きですね? わかります!」という感じだった。そう、けして悪いお父さんではないのだけれどなあ……。
まぁ、とにかく、チャンスさんがよかったですね。それから、チャンスさんの奥さんも、子どもさんも、すごくよかったです。見れてよかった。
(m)