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袴田事件 神になるしかなかった男の58年


袴田事件 神になるしかなかった男の58年

今年9月26日に再審無罪判決が出て、その後検察が上訴権を放棄したことによって確定した所謂、袴田事件の事件発生から今年5月22日の結審までのルポ。従って9月26日の無罪判決には触れられていない。

1966年6月30日静岡県清水市にあった味噌製造会社専務宅が放火され一家四人が惨殺された。事情聴取などを経て同年8月18日、袴田巌さんを逮捕。袴田さんの長過ぎる闘いの始まりである。

恐ろしいのは任意の事情聴取と言いながら身柄を拘束し、長時間にわたって取り調べという名の(恐らく暴力もあったのではないか?)拷問に合い、思考能力が麻痺して無実を訴える気力を無くした状態で自白調書を取られていること。証拠がないため無理に自供を得ようとしていること。
更にまた証拠のでっち上げも行われているように思えること。
最初の証拠である「血染めのパジャマ」。警察が嘘をリークしたのか、新聞が大げさに書いたのかは分からないが、実際は肉眼で見えるか見えないかのレベルだったらしい。所が事件から1年以上経過して有名な「味噌蔵の五点の衣類」が発見される。発見時の現場での経緯を見ればでっち上げの可能性が高いにも関わらずなぜか証拠として採用されてしまう。

これだけでも十分、怪しいが裁判所は袴田さんに死刑判決をくだしている。
三人の裁判官のうち二人が死刑相当と判断したためだ。
これが後年、無罪を主張した裁判官を生涯苦しませることになる。死刑が多数決で決まることは驚きである。私は死刑廃止論者ではないが、慎重を期すべきであり全員一致が原則であるべきと思う。

死刑が確定しいつ執行されるかわからない状況で、袴田さんは自らを「全知全能の神」と名乗るようになったらしい。精神を蝕まれたと言うのは簡単だが、神がいる限り自分の疑いは晴れると思っていたのに死刑判決。結局、神なんていないのであれば自分が神になるしかないと思ったのではないかというのが筆者の見立てである。

事件から58年もたってようやく無罪判決となったが、姉のひで子さんは弟の無実を信じて戦い続けた。世間の目もあるしその苦労は私たちが想像できないくらい並大抵のものではなかったと思う。何度も司法に裏切られそれでもあきらめずに前へ進む。この強さには感服するしかない。
この事件は袴田さん本人だけでなく、ひで子さん、無罪を主張した裁判官など多くの人を必要のない苦難を味わわせていると思う。

それにしても検察には呆れ果てる。この本では結審までだがその後の無罪判決が確定した時の検察の会見が酷かった。「判決は多くの問題を含む到底承服できないものだ。」と言っている。
何が問題で、どう承服できないのか?一つも示されていない。これは事件発生以来、一貫しているではないか。本来、もっと早くに解決している(少なくとも袴田さんの無罪は確定している。)はずだと思うが、それに対する反省も謝罪もない。事件発生から58年。検察は冤罪は明らかなのに自分たちのメンツを守るためだけに、いたずらに引き延ばしを行っていたとしか思えない。考えたくはないがひで子さんも袴田さんも高齢である。無駄に引き延ばすことでお二人が鬼籍に入るまで待って、うやむやにしたかったのではないかと疑ってしまう。

更にこの事件の検証結果の報告においても「味噌蔵の五点の衣類」の捏造は「現実的にありえない。客観的な事実関係と矛盾する。検察側に問題があったとは認められない」と裁判では客観的な証拠もあり捏造が認定されているのに未だに問題を認めていない。しかしどこがどう矛盾するのかについては私が探した限りでは示されていない。

一方、警察は弁護士にほとんど接見させなかったこと、長時間に及ぶ取り調べ(排尿まで取調室でさせたらしい)、捜査の違法性を認める一方で、証拠の捏造はあったとも無かったとも言えないと言葉を濁している。
とは言えまだ警察の方が一応、反省の態度は見せているかなと思う。

多くの警察官も検察官も普段から真実を明らかにするため一生懸命捜査してくれていると思う。ただ、彼らも人間である。完璧な人はいない。誤りがあれば早く認めて謝罪すればいいではないか。メンツにこだわって事実を隠蔽したり、ありもしない証拠を捏造してもいずれバレる。そんなことをしていたらいつまでたっても冤罪は無くならない。この事件から学ぶことは多いと思う。

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