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万事オーライ 別府温泉を日本一にした男


万事オーライ 別府温泉を日本一にした男

大分県の別府市に帰省するたびに駅前の銅像が気になっていた。
油屋熊八(あぶらやくまはち)という人物である。

別府駅前油屋熊八像


なんでも別府市(別府温泉)を日本有数の観光地にした人物であるらしい。
この小説はそんな油屋熊八さんの生涯を描いた小説である。

別府市とは海を挟んで対岸の愛媛県は宇和島の米穀商の長男として生まれ育った熊八さんは若い頃は山師的な所があり、大阪に出て一時は株で大儲けし、一時は油屋将軍などとも呼ばれたが、その後全財産を失った。
ただ、この頃から先を読む力はあったし、どういうことをすればいいのかと言うアイデアを思いつく力もあったようだ。
その後、大阪を離れて別府に移るが勉強と称して奥さんを置いてアメリカに行ったり(これが後々役立つのだが)と行動力もあった。
文句も言わず行かせた奥さんも凄いが。

そんな熊八さん、別府で亀の井旅館という旅館を始めるが、ここでも常駐の看護師さんを置いて宿泊客の健康状態を見たり(温泉地なので湯あたりなども結構あったらしい。)と次々とアイデアを出して行く。子供が居なかったこともあってか同業者が嫌がる子供の団体客を受け入れてそこから別府港に大型船が停泊できるように桟橋を付けることを思いついたり(恐らくこれが今の別府観光港の始まりだろう。)とそれまでの常識を打ち破るようなことをやってのける。(その分、借金も増えたようだが。)

温泉を活かした「地獄めぐり」を考えたのも熊八さんである。そのために道路の整備を市に働きかけたりしているし、これからは自動車の時代と考えて当時は珍しかったバスを4台も購入して、更には料金を受け取る車掌を女性にしたり(バスガイドさん始まり。)と当時としては画期的なことをしている。(今の亀の井バスの始まり。)

海外の旅行客を迎えるために旅館を和洋折衷のホテルに建て替えたりと思い切ったこともしている。(恐らく今の亀の井ホテル。)
また勧業博覧会(万博のようなもの)が別府で開かれる時には流川通りの整備を市に働きかけたり、観光振興のため阿蘇山までの道路の整備を働きかけたり(今の九州横断道路ややまなみハイウェイ)時には私財を投げうって別府のために尽くしている。

それでも別府の知名度が全国的に低いと見るや大阪まで出てきて飛行機でビラをまいたり、新聞の企画で日本新八景を決めるというイベントが開催された時は温泉地部門で別府を日本一にするために奔走して見事に一位を獲得している。

どうやら次から次へと新しいアイデアが浮かんでは実行に移さないと気が済まない人だったようだ。
子供が居なかったせいか子供も好きで銅像にも刻まれているが「ピカピカのおじちゃん」として人気もあった。恐らくいい意味で人たらしの才能もあったのだろう。

ただどんな人にも平等にいつかは死が訪れる。
さすがの熊八さんも例外ではなく昭和十年(1935年)に71歳で他界されている。読後感は何とも清々しかった。
しかい…ちょっと待てよ…
熊八さんの偉業、地獄めぐりにしても流川通りにしても九州横断道路、別府観光港やまなみ、…この小説に出てくる観光名所や別府の企業の全てがそのまま目に浮かぶのだ。

つまり…今の別府市って熊八さんの時から何も変わってない(変えていない)のではないのか?
今、別府の駅前通りは閑散としていて商店街はシャッター街と化している。
厳しいことを言うようだが、皆、熊八さんの残してくれたものの上に胡坐をかいて新しいことを始めようともせず、昔から(熊八さんの時代から)のものを昔のままやってきただけではないのか。時代の変化に対応もせず。
その結果が今の別府市の状況ではないか。少なくとも杉乃井パレスが破綻した頃までには気付くべきだったのではないかと感じた。今の別府駅前を熊八さんが見たら何と言うだろう。

余談だが帰省中に熊八さんの絵本があることを知ったので入手した。

ピッカピカのおじちゃん ~別府観光の父油屋熊八~

別府温泉の父”油屋熊八”を漫画化するための団体が(まんが油屋熊八)が作成しているが、本書を子供向けに簡略にまとめた一冊。
別府温泉の父”油屋熊八”を漫画化

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