コタロウと琵琶④
皆様いかがお過ごしでしょうか?
琵琶語りのコタロウです。
さて前回筑前琵琶熊本旭会と肥後琵琶の関係をお話ししました。
前回の記事です↓
さてコタロウと琵琶最終回です。今回は肥後琵琶の私の師匠である、後藤昭子(玉川 京演)先生との出会いについてお話しましょう。
出会いは熊本城南大手門での観光ツアーの企画での出会いでした。
シリーズ第二弾記事参照↓↓
この時は筑前琵琶を聞きにきていたのですが、肥後琵琶のあまりの奏法の違いに記憶が鮮明に思い出せます。
まるで地響きのような声に激しい奏法、悪く言えば土臭い、よく言えば魂に響く琵琶でした。まるでドロドロした液体を飲み干すような感覚でしょうか?
当時は決して真似できないと思いました。
そして後藤さんの師匠である、山鹿 良之(玉川 教演)さんは、さらにドロドロとしたもうそれは飲むんじゃなくてかみ砕くものですよね!!といった衝撃があります。
これが何の免疫もなく聞くと「なんじゃこらぁ!」継承なんて出来るかぁ!!となります。
長い動画ですので、お時間がある時にでも!
後藤先生は当時筑前琵琶熊本旭会では私の姉弟子で面倒をよくみてくださいました。筑前琵琶の曲を弾くのが好きな私が弾奏し、歌うことが得意な後藤先生が歌ったものです。
それでもやっぱり後藤先生の歌には肥後琵琶の芯があり、私も徐々に肥後琵琶の道に足を踏み込み始めます。
後藤さんはよく「どぎゃんかなる」「よかよか」が口癖の器の大きな先生です。この言葉に何度救われたかわかりません。ありがとうございます。
その時は・・・、肥後琵琶の道へのきっかけは、突然でした。
平成28年(2016年)熊本地震の年です。諸事情による小島先生の会長職から相談役への移行、相談役就任後すぐ筑前琵琶熊本旭会脱会、筑前琵琶日本旭会脱会により、ぺーぺーの私がよくわからないまま、筑前琵琶熊本旭会の会長になります。いまだに思い出すだけで胃が痛くなります。
まだまだ未熟な私が熊本旭会を率いることに不安があり、筑前琵琶だけではなく、熊本で生き残るために肥後琵琶の習得を決意します。
それまでも活動していた肥後琵琶の活動にさらに邁進するようになりました。
この筑前琵琶の師の脱会により閉ざされかけた琵琶の道を、後藤先生の肥後琵琶のおかげで新しい琵琶の道が開けたのです。
「琵琶はまだコタロウを見捨てていない、コタロウも琵琶が好きだ!!」
ここに琵琶が好きすぎる琵琶語りのコタロウが誕生したのです。
さて最終回コタロウと琵琶④はいかがだったでしょうか?
これからも琵琶と一緒に芸の道を歩いていくコタロウです。
最近よくお声をかけていただき、本当にありがとうございます。皆様に応援していただき、こんなに幸せなことはありません。ありがとうございます。
琵琶を弾いて、琵琶で語って、琵琶の音色や物語で世界が優しくなるように一生懸命活動して参ります。ご愛顧、ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。
さて次回は何をお話ししましょうか!
コタロウと琵琶シリーズはこれにて読み終わり!
あい、お粗末様でございます。
次回の更新をお楽しみに!毎週火曜の更新です!