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源義高終焉の地

最初に、前回の記事に記載しました演奏会、
無事終了いたしました。
お越しいただきました皆様、本当にありがとうございました。
引きこもり琵琶弾きの自分に声をかけてくた同門の与之乃さんには本当に感謝です。

さて以前から気になっていた源義高終焉の地。
自宅からは自転車で15分ほどのところにあり、
何度か車で横を通ることはあったのですが、訪れたことはありませんでした。
演奏会で「木曽義仲」という曲を演奏する予定があり
ゆかりのある場所の近くに住んでいながら、お参りもしないというのは
なんとなく良くないことのように思え、
演奏会前に訪ねてみました。

幹線道路と住宅街に挟まれた、こじんまりとしたところです。
横はトラックなど大型車がひっきりなし通り過ぎていきますが
どなたかがこまめに掃除をしてくださっているのでしょう、
すっきりとしていて、この空間だけには静寂を感じました。

木曽義高は木曽義仲の嫡男で、源頼朝の娘婿に迎えられていました。
要は義仲が棟梁の頼朝に逆らうことないよう義高は人質となっていたのです。
木曽義仲が討たれたのち、義高は身の危険を察知し逃亡します。
しかし途中馬に水を飲ませてやっているところ討たれたというのです。
その水場がこの地にある入間川のようです。

こちらに掲示されている「清水八幡宮由来記」には
義高の母は巴御前であると記載されていますが、
諸説あるようで、定かなことはわかっていないようです。


義高は動物が好きな心優しい青年で、人質であっても皆に愛されていました。義高の死はお嫁さんである大姫(頼朝娘)をはじめ大変なショックを与え、義高を討った郎従藤内光澄は、源頼朝妻の政子によって晒し首にされてしまいました。皆に愛されながら仇討ちを恐れられて討たれる義高、藤内光澄は上司である頼朝の命に従ったまでなのに皆の非難を受け打首と、どちらも大変不条理なことに思えます。現代においてもこのようなことが、繰り返されないことを願います。



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