カケハシを目指した者のなれの果て。
学生の頃に「日中友好会議」に参加したんだ。日本と中国の学生同士で話し合う機会。その年は北京での開催だった。出迎えてくれた北大(べいだー)には横断幕が用意されていて、「中日友好会議」と書かれていた。
その時「あ、そりゃそうだよね」と思うと同時に、今まで考えてきたこと全部、疑い直す作業に入ったさ。「日中友好会議」との表記に何一つ感じることなく準備してきた自分の考えの甘さにも驚いた。どれだけ周到に学んだところで立場の違いは埋められないのだから、立場を超えて客観視して、論拠に基づき話し合い、少しずつでも関係を良くしていこうって場なのに、「中日~」の表記で驚いた自分にも驚いた。とにかく全部ひっくり返る驚きだったんだ。
知らなすぎた。知らなすぎることを突き付けられたの、「中日~」の表記ひとつで。黄河の奔流にポトンと身一つで落ちたように思った。黄河はまだ見たことがないけど。
知らないことは恐ろしいし、知らないまま語ることも恐ろしいと痛感したよ。いま生きてきる人全員の話を聞いても、いま触れられる本全部読んでも、とうてい知り得ないこと、埋め得ない溝、理解しがたいことがあって、でも、それに気づきもしなければ、「あれが敵」って味方に示されるだけで殺しに行っちゃうほど、人は恐ろしい愚か者になれる。知らないことを知らないこと、知り得ることを調べないこと、わからないことを自覚しないこと、事実に謙虚にならないこと。いろいろなことを同時に「おそろしい」と思った瞬間だった。
水餃子を食べるたびに、あの夏の衝撃を思い出す。我が子は小学生だから、昨晩は日本軍の話をしたよ。私の祖父から聞いた話。それから遡ってたくさん話した。遥か昔の遣隋使とか、もっと前に漢字を伝えた人たちとか。ずっとずっと連綿と続いている東アジアの関係。今生きる誰もが、その歴史の先端にいる一人。言動は個人に委ねられている。
私はいつか北京で暮らすのが夢だった。憧れの土地だから。でもフリーチベット活動しすぎて今後は渡中がかなわない。その言動を、自分で選んだ。好きなものとの断絶は慟哭するほどつらかったけれど、私は自らの選択を良しとした。今後も自らの選択を良しとし続けられたらいいだろうと思っているよ。