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グループラインでの情報共有について。Nさんの場合

遅ればせながら今年初noteになります。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。角砂糖です。


何回かnoteを書いていますが、未だあまり分かっていません。

今年はもっと理解を深めていきたいと思います。

とりあえず今回の内容を考えてnoteみんなのフォトギャラリーより、画像を挿入してみました。

あまのこさんありがとうございます。




さて、ひとつの舞台を作る際に、グループラインなどを作りそこで情報共有を図る、というのは近年よくあることかと思います。

いつでも、どこでも、誰でも、同じ情報を共有することでメンバー全員の知識の水準を上げ、認識を揃えていくことは同じ舞台を作るチームとして必要なことだと考えるからです。

これは舞台に限らず、仕事などでもあることだと思います。



かくいう私も複数のグループラインに入っています。

コロナ禍ということもあり、ラインなどでのやりとりも増えたように感じます。


複数のグループラインでやりとりをする上で気付いた点があります。


それぞれがある程度重要と分かっている上で連絡を取り合っていても、人は見逃すこともあるし、人は見返さないし、人は聞いているようで聞いていないし、人は理解しているようで理解できていない場合が多い、というところです。

しかし前述の通り、ほぼ全員が重要な連絡だとは思っている。



例としてNさんの場合を出します。

Nさんはその舞台を成功させたいと強く思っていました。

しかしNさんはグループラインで共有されたいくつかの事を行いませんでした。

他の人がそれを指摘すると、「見落としてました。すみません。」と仰っていました。

繰り返しになりますが、Nさんは舞台の成功を願っていました。


つまり、ある程度重要だと理解している場面でも、見逃しは有り得る、と仮定できると思います。


そしてNさんの例で考えると、グループラインといういつでもどこでも見られる場所があったとしても、内容を見返すことはあまりしない、ということが言える可能性があります。

もしくは、すべてを理解しているつもりで、何かを見逃している可能性を考えないのかもしれません。


さらに、見たうえで、または聞いたうえで理解ができていなかった場合もあります。




上記について考えると、他人に自分を分かってもらおうとすることが如何に難しいかということが分かります。




自戒を込めて、考えていきたいと思います。

それでは!




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角砂糖
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