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自粛とは自ら進んで行動を慎むということだしね
コロナが猛威を振るっているので、なるべくお外に出ない。
元々引きこもり体質だから、家に閉じこもっているのは苦にならない。
人と会うなと言われたらおとなしく会わない。
基本的に、なにもかも一人で完結するので、誰かと一緒でなければいけない理由がない。
どこへ行くにも、何をするにも、一人。
一人は楽しい。
自主的に閉じこもっている。
まさしく自粛。
休日など、一歩も外に出ない。
最低限の買い物に出なければならない時は仕方なく日曜でも外に出るが、速やかに目的地に向かい、用を済ませ、速やかに帰宅する。
平日ならばまだしも、土日のスーパーは人が多い。
特売品をしゅばばっとカゴに放り込み、猛スピードでセルフレジを通し、キャッシュレスで支払い。エコバッグに荷物を詰め込み店を出るまでどれだけ短いタイムでこなせるかを、一人競っている。
自分自身との戦い。結構楽しい。
自粛疲れ、という言葉を知って、なかなかに驚いた。
え、私、なんなら一生自粛していたいけど?
そういえば、最初のうちは一切なかった誘いも、半年、一年、と過ぎるうちに少しずつ増えてきた。ランチに行こう、とか、ちょっと出てこない、と声をかけられて「自粛中です」と断ることが多くなった。
つまり、みんな、自粛することに疲れ始めている。
人と会って、美味しいものを食べて、いっぱいお喋りして笑いたい。そんな気持ちなんだろう。
そもそも、一人が好きだ。
だから、何かをするのに誰かと一緒じゃなきゃいけない、という気持ちがよく分からない。
もちろん、仲の良い友人と食事をしたり、お茶を飲んだり、お酒を飲んだりするのは嫌いじゃない。その辺で立ち話するだけでも楽しい。
コロナ禍に突入する前なら、それなりに人と会っていた。
人といることが嫌いなわけじゃないけど、自分が何かしようかなと考えた時には、結局一人で動くことが多くなる。
それはもう性分だ。
突然、隣の県まで日帰り旅行に行ったり、海を見に行ったり、ラーメンを食べに行ったり、どんぐりを拾いに行ったり、東京まで美術館巡りしに行ったり。
突発的な行動は、結局一人でこなす方が楽だから、そうなってしまうのかもしれない。
計画を立てて、休みを合わせて、さあ一緒にどこへ行こうか、と考えるよりもずっと楽だからだ。
友人は少ない。
だからこそ、そんな私と付き合い続けてくれる友人たちは、とても貴重だ。
息が詰まらない? と聞かれた。
ずっと一人でいたら、寂しくならない? と。
考えてみた。
……いや、考えるまでもなかった。
でも、即答するのは相手が「自粛疲れ」しているのを責めているように聞こえないかな、とちょっと思ってしまった。
──自分がしたくてしている自粛の、何が辛いの?
息が詰まるどころか開放感ですっきりしている。
人と会えない寂しさなんて、たいしたことじゃない。
今まで孤独に生きているのだから、寂しさには慣れている。
第一、料理するのも、縫物をするのも、編み物をするのも、小説を書くのも、本を読むのも、映画を見るのも、野球を見るのも、全部一人の方が楽しい。
いや、野球に関しては誰かと一緒、も楽しいけれど。
「自粛」と言うから駄目なのだ。
おそらく、自粛疲れという言葉を使う人たちにとってそれは、自粛ではなくて「我慢」なんだろう。
会いたい人に会わないように我慢。
やりたいこともやっちゃ駄目だから我慢。
誰かとご飯を食べたいけど我慢。
飲みに行って盛り上がりたいのも我慢。
なるべくやらないでくださいね、とお願いされていたのだから、みんな頑張って我慢していたのだ。
だから、それに疲れてしまったんだろう。
だって、我慢って辛い。
世の中には、私のように自ら進んで自粛したい人間もいる。
たまには仲のいい人と会ってお喋りしたり、美味しいものを食べに行ったりもしたい。
けれど、「もう無理行きたいどうしても行きたい会いたい息が詰まる寂しい寂しい!」という気持ちにはならない。
最初からそういうことが好きで、当たり前だったわけじゃないから。
誰かと出かけたり、食事をしたりするのが好きな人たちは、きっとものすごく一生懸命我慢して、我慢して、我慢して、そして寂しくなっちゃったんだね。
自粛は自分が自ら決めて行動することだ。
誰かにお願いされて始めるものじゃない。
だから「自粛してください」って言われて、みんなきっと、頑張りすぎちゃったんだなって思う。
「ランチ食べに行かない?」
という誘いが増えてきたのは、仕方がないことだ。それを責めるつもりは一切ない。
毎日外に出て、人と会うのが当たり前の生活をしていた人なら、そろそろ限界なのだろう。
けれど全く限界を感じていない私はにっこり笑ってこう答える。
「個人的自粛中なので行きません」
まあ、まだワクチンも打ってないしさ。
そんな私を許してくれる友人知人、ありがとう。
コロナが治まったらいくらでも付き合うよ。
明日は一日、部屋の扉につける暖簾を縫うので忙しいのだ。
ランチは冷蔵庫の残り物を適当にやっつけるつもりだ。
了