我が儘
ディズニーランドも富士山も沖縄の海も、学生時代の修学旅行で行かない限りは、興味すらなかった。
おばあちゃんがスーパーでプリンを買ってあげようと私に言ったとき、お姉ちゃんや弟の分もないなら要らないよ、というぐらい、私は欲の薄い子どもだった。
どこかに行ってみたいと心底思うことは、思い出せる限り今日までの人生にない。
ただ単に無知だったのもあるし、正直、二十歳になった今求めている空間だって、美容皮膚科と、安価で矯正してもらえそうな歯医者さんぐらいだ。
都会にも田舎にも、私の居場所があるとは限らない。
以前付き合っていた男とのデートだって、その場所にいたいのとは違って、時間を共有していたくて場所を利用したまでだし。
強いていうなら、ひろむ君の家に行きたいし、ひろむ君と美味しいものを食べに行きたいから、和菓子を売ってる素敵なお店くらいは探したい。
外への興味が乏しいのは、家の居心地があまりにも良すぎる、だなんて理由ならよかったかな。
物心ついた時にはお絵描きとかゲームとか家でできることばかりに没頭していたし、根っからインドアな性格ってのもあると思うし、
まあ家の居心地に関してはむしろ反対で。
本当に行きたいところは思いつかなかったけど、家族と旅行に行ってみたいと言う気持ちもあったと思う。
旅行はしてみたかった。
楽しかったかもしれない。
私の家族は食卓を囲まなかった。
囲まなくても、囲んだところでも、貶し合いで喉のつまる空気。
いわゆる孤食や個食という状態で、それもつまらなくて、寂しかった。
思いやりとか会話とかが、家族という対人関係に関しては苦手で、どうしても心を開けない私は、未だに家族にサプライズとか、料理を振る舞うとか、したことない。
私は性格がおかしい?悪い?
周りの友達は家族とのつながりや時間を大切にしていて、その空気に踏み入れ体感してしまうたび、私は自分の人生を見つめ、すべて傷まみれだったような気分になる。
話に耳を傾けたり、目や顔を向けて笑ったり、ただいま、ごめん、おやすみとか、そういう家族らしさがあったら、私はもうちょっと大丈夫だったのかな。
私という人間も大抵、文章に願望が現れる。
自分のどうしようもない気持ちが滲んできて可視できる唯一の手段。文章を書くことで何よりも安心できるみたい。
踏み潰して殺して、土に埋めていた願望を、今日は成仏させてあげたい。
成人式のタイムカプセル掘りも済んだところだしね。
ずっと、家族全員でどこか楽しいところへ行ってみたい気持ちがあって、それは今もで。
イチゴ狩りとか、観光スポット巡りとか、友達の家族のように行ってみたかった。
伝えずに思ってただけなのが間違いだったかな。
どうして言葉にできなかったかな。
言葉を渡せていたら思い出もあったかな。
私は悪くないよね。
温泉で火照ったあとに同じ味のアイスを食べたり、ショッピングモールまで遠出して、ファッションセンスに口出ししながら迷って、素敵な服を買ったりとかでもいい。
行きたいとこないよ。でも連れてってよ。
思い出を作ろうって思ってほしいよ。
どこかに連れてってやろうって気持ちを見せてほしいよ。
それが決して見栄とか世間体じゃなくて、愛情であってほしかった。
居なくなる日を待つように置かれた惣菜を温めて食べる日々。
私は、冷蔵庫や電子レンジを開けるたびに泣いたり怒ったりしていた。
もう慣れてしまった。
冷めた惣菜に慣れるくらいなら怒ったり泣いたりしてる方が可愛げあったね。
家族という名の他人に、求めすぎてた。
でも求めて何が、悪い。やっぱり私?
悪くないはずなのに、すごく悲しい。
愛してほしかった。
20歳8ヶ月。
ここまで生かしてくれてありがとう。
でもバイトから帰ってきた夜、浴槽のお湯は残しといてほしかった。冬くらいは。
私はちょっとしたことで傷つくので。