最近は、観たかった映画たちに向き合っている。 ウィッカーマン、ゆれる人形、ペルシャンレッスン、 観る前から惹かれたものたちは自然と期待を裏切らないでくれることが多い。 昨日は意味もなく眠れなかった。 生まれて初めての、一睡もしない夜だった。 そのまま仕事をし、帰宅後の14時から18時までの4時間眠った。 何時間も眠っていた気がしたが全くそんなことはなく、起きた時にはしんどさも消えフワフワした頭で「こちらあみ子」を思い出した。 変な子のお話し といった端的な情報のみで関心を抱
ディズニーランドも富士山も沖縄の海も、学生時代の修学旅行で行かない限りは、興味すらなかった。 おばあちゃんがスーパーでプリンを買ってあげようと私に言ったとき、お姉ちゃんや弟の分もないなら要らないよ、というぐらい、私は欲の薄い子どもだった。 どこかに行ってみたいと心底思うことは、思い出せる限り今日までの人生にない。 ただ単に無知だったのもあるし、正直、二十歳になった今求めている空間だって、美容皮膚科と、安価で矯正してもらえそうな歯医者さんぐらいだ。 都会にも田舎にも、私の居場
自分を棚に置いて承認欲求の上の言動にしばしば嫌気がさす 自信を持ったナルシストは大好き。ただ自分に自信がないことを盾に他人を利用(さっきの男性芸人結婚発表記事にて自分を卑下するリプを貼る等)、無理やり他人を巻き込む感情爆発脆弱ナルシストには憧れない
男性芸能人の結婚発表の記事に 「この人でも結婚できるのに…」とリプが送られていたこと アイドルの熱愛報道に 出会い方が自分にとって最悪だと嘆く ファンのツイートが多かったこと 気持ち悪いと思った 自分勝手さが顕著で 私が世間に対して求めてしまう振る舞いが変わったのかなぁ
進撃の巨人を読むと、見ると、心が満たされる。 “話が長いから”“グロテスクだから” “巨人と戦うだけだから” という表面的な理由で触れないのは、心の底から損だと思う。 キャラクター一人一人の人格がはっきりと浮き出ていて、互いに影響しあう、絶対に誰が欠けても成り立たないストーリー。 進撃の巨人に出てくる誰からも、人としての在り方、人間らしさが伝わる。 どんな信念を持っているのか、どんな心の葛藤を持っているのかを感じ取れる。 進撃の巨人が私の心を震わせたり、悲しませたり、奮い
こんなにも雑多な情報で溢れる現代で、自分の心がときめくもの、好きなものだけを見つめて、自分はこういうものだって表現出来て、自分を確立しているあの子、本当に大好き。
姉は占いに行った。 私はまだ行ったことはない。 そこの占いは本当に何でもかんでも当てるそうだ。少し情報採集すればそれっぽいことを言えるようなTVのインチキ占い師のレベルではない。 そこへ行った母の知人は、男の子を二ヶ月以内に授かることを伝えられた。帰り道はコウノトリが目の前を横切り、気付けば占われたとおりに男の子を産んでいたそうだ。 また、私の友人の親御さんは定期的にその占いの方を霊媒師として頼っている。 働いているアルバイト先でその占いのことを話題に出すと、その占いについ
現実には存在しない知人が部屋に居る。 その人がタバコを落として、部屋に着火される夢を見た。 都合よく水なんて無い。 これから全てが失われる恐怖。 死にたくない。部屋を出ないと。 まず寝ている弟を起こした。 降りた後、家族全員無事なことに安堵した。 それでも私は失いたくないものがいっぱいあった。 煙と熱さを気にせず再び部屋へ向かった。 リュックサックに入れていた財布と、基礎化粧品。 最後に勉強道具をかき集めて逃げた。 火事は収まることもなく、かといって大きなものになるわけで
真面目に生きてるって言える程には、私は何かから逃げるような弱さ、甘えというものは持ち合わせてないと思う。真面目(な方)として生きてるから、刺激的な体験も少ないし、偉そうに語れることも多くない。 でも思ったことがある。 私もっとゆるく甘く自分を生きたい。 人はもっと『逃げや甘え』に甘えてもいいと思う。 自分の許せない部分を認めるのは酷だ。 責任を捨てきれず飲み込むだけなのは、酷だ。 たとえ自分の性格や言動すべてが最低なものだとしても、自分を見捨てたくなっても、そこには原因があ
高校3年生の6月、伸びた襟足を切ってボブにした。周りから感想を言われた時、心のどこかであの人に可愛いと思われたいなと思った。 その瞬間ようやく自覚した。 猫背で人見知りで、でも皆に向ける笑顔は目を瞑りたくなるくらい可愛くて、相変わらず寝癖をつけた彼の髪を今日もいい感じだなって眺めてた。 ただの推しだと思ってたかった。 高1の頃付き合ってた元彼の親友だったから。 帰宅部の彼と吹奏楽の私、会う機会なんてその夏まで一度もなかった放課後。 部活を引退してから初めて、帰り道のバス停で
この辛さは、大したことないのかもと 安堵したり、 この楽しさは、本当は間違ってるのかもと 疑ったり、 この感情は、持ち続けてはよくないのかもと 急に思ったり。 その呆気ないほどに冷めた思考は 私を存分に否定する。 でもこの考え方ができるようになったから 私は辛さに耐えられてる。 本当はこの感じている今の辛さだって 勘違いなはずだ。
きっと普遍的なことが私にとってはかけがえのない場合だってのはそこそこある。つまらないことも、だからどうしたってことも忘れたくない。自己嫌悪に陥っても気持ちだけは素直でありたい。