「タコの心身問題」レビュー 哲学と、自然科学と、生活実践との理想的な関係
ポストミレニアル時代においてとても大切だと感じているのは、哲学や美学などの学問と自然科学がもう一度お互いに寄り添い合っていくことだと個人的には思っています。私は医者、すなわち医学を「主」として従える僕(しもべ)なのですが、しばしば自然科学の一分野である医学が哲学や美学をないがしろにしている状況を自分が専門家として携わる臨床の場面で体験したりすると「もうちょっと何とかならんもんか?」とそのたびに残念な気落ちになります。あと、例えば臨床倫理のあるアジェンダで哲学者の人たちと話し合っていると、ちょっと医学が目の敵にされているんじゃないかと感じることもあり、やはりその時も「もうちょっと仲良くなると現場はもっといい景色になるのになあ」と思ったりしています。たぶん天文学が幅を利かせ始めたあたりから少しずつ哲学と自然科学は折り合いが微妙になっていって、現代の西洋医学が幅を利かせ始めていよいよ軋轢が出始めちゃった、みたいな。しかも医学側がめちゃ偉そうにしているので、哲学すねちゃった、みたいな感じでしょうか?
そんなマインドセットがある前提で、哲学者でありダイバーでもあるピーター・ゴドフリー=スミスが著したこの「タコの心身問題(原題 Other Minds)」を読み、ああ、ここにはまさに哲学と美学と自然科学と実生活が美しく手を取り合っている姿がある、と感動し、とても明るい気持ちになりました。
むちゃくちゃ乱暴に私なりの理解で本書の概要を記します。本書に罹れていることは以下のことです。
・ タコは全身神経細胞だらけ。ある意味全身が脳
・ 中枢としての脳のほかに、部分としての脳がいくつも存在していて、それぞれがある程度自律的に脳として機能している
・ タコに代表される頭足類は、ものすごく昔に脊椎動物との進化の分岐があり、そこから全く別の進化をして今に至っている
・ ところが、他者への興味のもちかたとか、ちょっかいのかけかたなどに人間との共通点がある。もとは海からうまれ「意識」を発芽させた動物たち
・ タコを観察し理解することは、宇宙人とコンタクトすることに近い。脊椎動物の常識でタコを見るな。その色眼鏡を外してタコを見ると、タコは実に頭脳明晰で、柔軟な動物
・ 「もともともっていた殻を捨てた」先輩でもある。殻を捨てたことでその代わりにどうやって楽しみながら生き延びるかを教えてくれる
こんな感じですね。最高じゃないですか?そして、美しくないですか?これぞ美学であり哲学だと思いました。
すぐさま想起したのは、「意識はどこからやってきているのか?」とか「心と体との独立性」など、デカルトとかにさかのぼる「わたし」についての哲学的な問いです。それと同時に、私たち医師が、お腹がグルグルして困っている患者さんに対してあまり深いことを考えずに抗コリン薬(腸の蠕動運動を抑制する薬)を出すことの乱暴さについて私はあらためて思いを馳せました。
おそらく私たち人間の中にも「Other Minds」が存在していて、それらの「意識」とわたしが「わたし」として意識の上に載せているもとのと折り合いによってわたしは成り立っているのだと思います。だからこそ、常にものごとは不合理に訪れ、想定外の動きをし、何の術もないまましばしば問題は勝手に解決されていくのだと思います。そういうことを考えると、私が最近臨床で実践している「うまから」的な臨床サービスの一部分が、おぼろげに言語化され共有されていく気がしています。この、哲学―美学―自然科学―実生活がぐるんと一周してつながって理解される感じは何とも気持ちがよいです。
人工知能と共生する社会はもうすぐ目の前にやってきています。さらには、かつてないほど人間あるいは人間も含めたグローバルなエコロジーにおける多様性の大切さが重要視される時代になりました。そのような状況において、本書は、はるか昔は同族で会った仲間と私たちが、それぞれ全く別の変容を遂げ、自分たちの文法とは全く異なる文法を使用して楽しそうにしていること、さらには、徹底的な分かり合えなさに気づくことで、実は自分の中に存在している他者の個性を発見することのスリルを存分に表現していると感じました。これからは、また哲学と美学と自然科学と実生活がお互いに寄り添っていく時代になっていくと思います。そして、それらをつなげるものは「タコ」のような当然私の前に現れて、理解不能ながらセクシーでコミカルな動きをしてくれるナニカなのだと思います。そして、タコがこれからの人間に対して、先を言っている先輩として教えてくれているものは、以下の二つだと思いました。
1. 殻を捨てよう。殻を捨てるといろいろいいことあるし身軽になるし楽しい。そして、殻を捨てても生き延びるすべはいろいろある。
2. 中枢を信じすぎるな。あなたの「からだ」を、まるっと生きよう。