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泣くほどの感情は「悔しい」とか「うれしい」とかではおそらく説明できない。

昨日の中日ー広島戦での福谷の男泣きは本当に心揺さぶられました。
まず簡単に解説すると、昨年から先発に転向した中日の福谷投手が昨日の試合で7回まで広島打線を完封。8回に足がつったアクシデントで交代となったときに号泣していたことが話題となりました。これは「悔し泣き」なのか、それとも「うれし泣き」なのか、ということです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bc05a3f97da597fb6ce8ada66b15ca94a37879d3
インタビューで自分でも「悔しくて」と言っていました。泣いていた時にアナウンサーが「よっぽど悔しかったんでしょうね」と言った後解説の権藤氏が「いや、あれはうれし泣きだ」と否定して、福谷自身のコメントの後にネットで「権藤的外れ」みたいなコメントがいっぱい乗っていましたが、オレはそうは思いません。人が感極まって泣いてしまう時、そこには「悔しい」「うれしい」などの相反するベクトルのどちらかだけに振れているわけではないと思います。感情はもっと複雑なものです。そして、その言語化はきっと本人にもできないのだと思います。


福谷という投手は、ドラゴンズファンにとっては「炎上必死のセットアッパー/クローサー」というネガティヴなイメージの投手でした。自分でも自分のプロ野球選手としての存在意義を疑っていた数年間があったと思います。それが去年から先発に転向し、今年になって見事に開花しました。ドラゴンズファンにとっては「え?どうしちゃったの福谷??」というくらい頼れる存在の先発の柱の一つに育ったのですが、それでも6回まで持たないというイメージがありました。6回に必ず撃ち込まれるのです。その福谷が、7回まで完封という状態が昨日でした。福谷自身にとっても7回を終えて90球ちょっと。そして完封。この景色は自分自身にとっても初めて見る景色です。高揚しないわけがありません。8回のマウンドは、「ひょっとしたらこのまま完封できるかもしれない」というはちきれんばかりの歓喜と期待の中で向かったマウンドだと思います。そんな中で足がつってしまうというアクシデント。もちろんここで交代をやむなくせざるを得ないのは悔しいに違いないのですが、それは同時に自分が到達できなかったところまで今到達できていること、そしてさらにもっと高いところまで行けるかもしれないという可能性の中での「悔しさ」だと思います。ここでのリーチの断念はもちろん「もっと遠くに行けたのに」という悔しさもありますが、同時に「ここまで行けた」という歓喜もあるはずです。


もう一つ、昨日は与田監督を見直したのですが、福谷が夢想投球をしていた8回に明らかにフォームがおかしくなった時、阿波野コーチではなく与田監督が自らマウンドに歩み寄りました。これは交代だろうと誰もが思ったのですが、その時には交代はなく、広島4番の鈴木誠也を打ち取った後改めて与田監督は自分自身で福谷のところに歩み寄り交代を告げました。これはきっとピッチャー出身の監督でないとできない心配りかもしれません。こんな与田監督の配慮も福谷にとっては複雑な感情を増幅させるものだったでしょう。それは「悔しさ」でもあり「嬉しさ」でもあり「やりきった」という達成感でもあり、同時に「まだ行けたのに」という非達成感でもあるわけです。


ここには、今シーズン、エースの大野投手が「先発投手の権化」のような背中を見せ、見事に5連続完投+2連続完封という偉業を成し遂げた直後の自身の登板であることや、大野に触発された梅津が10回140球を一人で投げ切った後に故障して今二軍で調整していることなども複雑に関与しています。この感極まった男泣きはいろいろな物語の過程における必然です。ドラゴンズはもっと強くなると思います。

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