優しさを返してる
今年初めての今週の一枚は、
「正月のダイコン」
ダイコンにも花言葉があって、
「潔白」「適応力」などがある。
「潔白」という花言葉はやはりダイコンの白い色から付けられたようだ。「適応力」は生命力が強く、いろいろな土壌に適応して育っていく事から付いた花言葉みたいだね。
俺はダイコンはあまり好きじゃないし、こうやって外に出て、外の風景をスマホで撮るようになって初めて我が家でダイコンを作ってる事に気が付いた。俺ってつくづく鈍感な男だな。
しかし正月の寒い中、こんな時まで母ちゃんが外で働いている事にビックリしたよ。正直、ダイコンの収穫なんて放っておいて、正月ぐらいはゆっくりするのが普通だと思うのだが、この寒い中、母ちゃんは一人でダイコンを収穫していたのだ。
母ちゃんは、一体、何を楽しみに生きているのか??
俺は正月まで働く事を止めない母親を見て、こんな失礼な疑問を持ってしまう。
でも、決して母ちゃんの人生をバカにしてるわけではないよ。
単純に、母ちゃんには、もっと自分の楽しみの為に自分の時間を使ってほしいと思ってるだけだ。
たまに、母ちゃんが茶の間で一人でボーっとテレビを見てる姿を見る事があるが、なんだか俺にはとても寂しそうに見える。母ちゃんの人生はどう考えても、テレビを見て休んでる時間より働いている時間の方が今でも圧倒的に長い。
母ちゃんのそんな働く姿ばかりを見てると、俺は心の底からもっと自分の時間を大事にしてほしいと願うばかりだ。
そんな俺は、平日の昼間は株式投資をしてて、夜は夜で株の事で調べる事があるから、株関連のYouTubeを見たりしてるのだが、いつしか他の動画に寄り道をしてしまう事が多々ある。例えばドライブレコーダーの車の事故の特集動画を見てしまったり、他にはエクアドルマフィアの刑務所内の動画を見た後には、あまりにも殺伐とした動画だったから「これは俺の精神を何かで中和しないと!!」と思い、子犬や子猫の動画を見てあまりの可愛さに何故か号泣したりもしてる。もちろんこの全てが無駄な時間だとは思わないが、やるべき事を後回しにしてまで見る動画たちではないのは明らかだ。
俺の時間だって有限なはずなのに、俺はまるで自分は不老不死かのように、ダラダラと時間を無駄にして生きている。
だからこそ、俺よりも確実に残された時間の少ない母ちゃんには、もっともっと自分の時間を大事にしてほしいんだ。
それに、これもたまに思うんだが、俺が実家に帰った事で、父ちゃんや母ちゃんは知らなくていい事まで知ってしまったのではないのか?という後悔の思いだ。
俺が4年前に実家に帰るまでは、実家にはネットが繋がってなかった。俺が実家に帰って来た事によって、ケーブルテレビからネット接続が出来る契約に変更したのだ。それまではBSでWOWOWを契約してて、父ちゃんは映画を見るのに外の仕事を休んでまで、わざわざテレビの前で映画の放送時間を待ち構えて映画を見ていた。今の好きな時に映画が見れる動画配信の時代に、何とももったいない時間の使い方を父ちゃんは何年も続けていたのだ。
しかし、父ちゃんは俺が実家に帰った4年前からNetflixやAmazonPrimeの存在を知ってしまった。ネット配信の快適さを知ってしまったからには、もう昔のBS放送時代の映画には戻れないだろう。
母ちゃんも4年前はガラケーを壁にかけて大事に持っていたが、これも携帯ショップで言われるがままに契約をしてたから、俺がスマホに契約し直して、月の最低料金の格安プランに変えてあげた。だって、ガラケーを持ってたって自宅には携帯電波が届いてないから携帯の通話機能は使えないのだよ。それなのに、通話かけ放題プランなんていう無駄に高いプランに、母ちゃんは長年ずっと入っていた。
そして、今の母ちゃんのスマホにはYouTubeとTikTokのアプリを一度は入れてあげてたが、俺が後でコッソリとTikTokのアプリだけは削除した。なぜなら、TikTokは肉食動物が草食動物を捕食するようなショッキングな動画が突然流れて来たりするし、若いお姉さんがクネクネ踊るエロい動画もあるから、母ちゃんには刺激が強いかなと思ってだ。まぁYouTubeもかなり怪しい動画があるけど、TikTokと違って突然は流れて来ないからね。
とにかく俺は、両親が本来ならば知らなかったであろう知識を教えてしまった事に、今現在、重大な責任を感じている。
これも思いっきり失礼な書き方だが、俺が4年前からしてる事は、何も知らない未開の地の原住民に文明の力を教えてしまってるようなものだ。
歴史的な事で例えると、コロンブスがアメリカ大陸を発見した事により、感染症までアメリカ大陸に入って来てしまい、それによって免疫が無かった先住民が大量に死んでしまったという歴史がある。
つまり、文明の新しい風が吹くという事が、全て正しいというわけではないという事だ。
世の中には知らなくていい事もたくさんある。
俺も兄ちゃんの机の一番下の引き出しに隠してあった、悩殺の青い目をしたエロロな海外美女のグラビアを発見しなければ、俺の性の目覚めも後半年は遅れていただろう。
しかし、今の父ちゃんと母ちゃんを見てると、二人の今までの人生でしなくていい苦労や払わなくていい無駄なお金を今までいくら払って来たのだろうかと考えてしまい、一人で胸が痛くなる。
今の俺は両親に余計な事を教えてしまったのではないかと自問自答しながらも、父ちゃんと母ちゃんがネット上で見てはいけないモノを、いつかは見てしまうのではないかと毎日ヒヤヒヤ心配して見守る日々を過ごしている。
まるで、小さな我が子が初めて三輪車に乗って冒険してる姿を、後ろからハラハラしながら見守ってる親のような気持ちだ。
さらに、恥ずかしげもなく自分で書いてしまいますが、子供でもある俺が、こんな気持ちで自分たちの事を心配して見守ってると知ったなら、父ちゃんも母ちゃんも、めちゃくちゃ嬉しい事だと思う。
俺が生まれた時は「オギャー!」と泣くだけしか出来なくて、ほっとけばすぐに死んでしまうような弱くて小さい存在だったのだよ?
その子供が今や、自分達の残りの人生の時間の事まで心配して、さらには自分によって余計な情報を教えてしまったのではないか?とか、ネット上のショッキングな動画とかを間違って見てしまうのではないか?と、常に自分たちを見守り心配して、そしてその心配を文章にまで記してるのだ。
俺が親の立場なら、
「こんな優しい子を産んで本当に良かった!!!」
と、号泣してしまうだろう。
この正月の寒い中、俺が母ちゃんの苦労を考えたり、さらには母ちゃんの残りの人生の大事な時間の事まで考えるような優しい子供に育つなんていう事は、実際に子供を育ててみなけりゃ分からない。
そう考えると、子育てとはギャンブルみたいなものだ。
もし、母ちゃんと父ちゃんが俺の子育てに失敗してたら、母ちゃんが、正月の寒い中、外でダイコンを収穫してる事を心配するどころか、これがチャンスとばかりに、家の中に隠してあるお金を盗んでは、ロマンス詐欺で俺を騙してるボニータちゃんにせっせとお金を入金してるバカ息子に育ってた可能性だってある。
今までの俺はずっと迷惑ばかりをかけてきただけど、今は父ちゃんと母ちゃんを心から心配する優しい息子に育ちました。
でもそれは、父ちゃんと母ちゃんが、俺が生まれてから、ずっと、俺の事を大事にしてくれて優しく見守って育ててくれたからだ。
今の俺の父ちゃんと母ちゃんを心配して見守ろうとする考えこそが、父ちゃんと母ちゃんが俺が赤ちゃんの時から、ずっと俺にしてくれてた事への答え合わせでしかない。
俺が生まれてからずっと、俺に与えてくれてた優しさや思いやりは、今こそ父ちゃんと母ちゃんに返すだけだ。
正月に収穫されたダイコンを眺めて、こんな事を思った、今週の一枚