身銭を切る I
娘の話を書きます。
私には4歳の娘がいます。保育園の年少さんです。
4歳というのは、簡単な冗談におかしさを感じることができる年齢です。
先日、晩ごはんを食べていると、彼女が不機嫌そうな顔をしていました。
なにかあったの?と尋ねると、その日の保育園での出来事を教えてくれました。
トイレの順番を待っているとき、お友達のさっちゃん(仮名)に割り込まれたのだそうです。
ルールを守らないさっちゃんへの不満をどこにぶつけてよいか分からず、泣いてしまったようです。
理解に困る、大人からのアドバイス
娘にどのような助言をするか、私は考えました。
彼女はどのような行動をすればよかったのか。
思いついた選択肢は3つです。
(1) 順番は守らないといけないんだよ、とさっちゃんを諭す
(2) 忍耐の大切さをかみしめ、我慢する
(3) そのままトイレに入り、用事を済ませる
私が彼女に伝えたアドバイスは、(3)です。
洋式の便座には、すでにさっちゃんが座っているはずです。
そのままトイレに入り、ズボンを脱ぎ、知らぬ顔で便座(に座っているさっちゃん)に、腰を下ろしてお尻をつけます。
そのまま間髪入れずに、用事を済ませてしまうのです。
さっちゃんは洋服ごとおしっこで濡れてしまい、泣き出してしまうかもしれません。
それに、こんなことをしたら先生から怒られてしまうかもしれません。
でも、次にトイレに入ることができるのは、娘です。
順番にきちんと並んでいたのですから。
ただ、誰かが割り込んだことに気づかなかっただけなのです。
私が助言を言い終えると、彼女は無言で私を見つめていました。
この大人に言われたことを、本気と受け取ればよいのか、冗談と受け取ればよいのか、分からなかったのだと思います。
そのまま黙ってご飯を食べはじめました。
リスクを生きる
自分の正当性を訴えるためには、リスクを冒さなければなりません。
身銭を切る、ということです。
これから数回にわたり、ナシーム・ニコラス・タレブの『身銭を切れ
「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』を読みながら、身銭を切るとはどのような生き方なのか読み解いていこうと思います。
不確実で予測不可能な世界では、リスクを生きなければならない、というタレブの思想を考察します。
申し遅れましたが、私はかえると申します。
さかなさん、にぼしさんと同じ会社で仕事をしているディレクターです。
また、記事を投稿します。