長田弘/詩ふたつ
父が亡くなった後、赤ちゃんの娘を抱えながらも、
本を読むことは、変わらず続けていました。
気持ちは、どこか、どんよりと重くはあったけど、
母親としては、役割を担う責任がありました。
死別の悲しみに向き合う時に…
表参道のクレヨンハウスは好きな場所で、
(作家の落合恵子さんがオーナー)
そこで、出逢ったものが、
花を持って、会いにゆく
人生は森のなかの一日
の「詩ふたつ」で構成されている一冊の詩集。
長田弘さんの本でした。
風景画は、意外にもグスタフ・クリムトです。
(「黄金のクリムト」と言われる華麗で装飾的な絵画で有名ですが)
【花を持って、会いにゆく】
春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。
どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。
どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。
歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、
遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうではないということに気づいたのは、
死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。
そうと知ったときに、
じふんの、いま、いる、
ここが、じふんのゆきついた、
いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世からいちばん遠い場所が、
ほんとうは、この世に
いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。
十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。
病いに苦しんで、
なくなった母は、
死んで、また元気になった。
死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。
ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。
話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。
春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。
春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。
昨日は、良い報告が出来たと思います…
◾️あとがきも素敵なので◾️
一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし
一人の時間であると同時に、この世を去った人が、
いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうして生きているのだという、不思議にありありとした感覚。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。
喪によって、人が発見するのは絆だからです。
わたしも、亡くなった人達が、最後に教えてくれることは、希望だと思っています。
もうひとつの詩は、また紹介したいと思います…
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